nanami-JP’s blog

40代おひとり様の日々のささやかな幸せ探し。日々の楽しみや旅行記などを徒然に。

40代おひとり様の超初心者海外旅行【イタリア3日目】

■3日目:フィレンツェ2日目は朝から夜まで中世にタイムトラベル!

 昨日歩き続けて疲労困憊ではあったものの、ホテルのフカフカで寝心地の良いセミダブルベッドで爆睡し、日ごろよりも元気はつらつで、普段めったにしない早起きも苦にせず。3日目は朝食を食べたらすぐに街中へ!
 いざ、駅のすぐ近くにあるサンタ・マリア・ノッヴェラ教会へ!
 バスで駅まで戻ろうとするも、駅からタクシーで来た身としては、そもそもバス亭がどこにあるのかさっぱり分からない。バスを見かけるも停


まる気配もなし。切符の買い方もよく分からん状態。そこで改めて地図を確認するとホテルのあるサン・フィレンツェ広場から直線距離にして1kmくらい。ということは多少迷っても走行距離2kmくらいで行けちゃうんじゃ?じゃあ、街を散策しがてら歩いてみるか!…と。ノリと勢いで徒歩に変更。なんとなく駅の方角を目指してフラフラキョロキョロ向かうも、さすがフィレンツェ。観光客の多さに、キョロつく私も不審者にならずに済んだ(笑)
 途中気になる建物や教会を激写しながら街の様子を満喫してなんとか教会前広場まで到着。実はここでサンタ・マリア・ノッヴエラ教会の近くにあるらしい修道院薬局でお土産にポプリやアロマオイルを買おう♪…と思っていたのだが、いっこうにそれらしき店が見つからない。Googleマップ君の示す場所は改装中のような雰囲気。結局、サンタ・マリア・ノッヴエラ教会の周りを2周してみても見つからない。また次の機会の楽しみがもう一つ増えたということで、あきらめて教会の拝観へ。
 

●サンタ・マリア・ノッヴェラ教会

 

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 教会の内部は白漆喰の壁に柱や壁のフチに濃灰色でストライプや幾何学模様が描かれており、そのコントラストの優雅な美しさに空間が支配されていた。そして奥の祭壇は、天井まで届きそうな大きな縦長の3連のステンドグラスの7色の光と色とりどりのフラスコ画が壁中にびっしりとひしめいている。500年前当時はきっとフラスコ画も色鮮やかだったろうから、この白と黒のコントラストの世界の奥に佇む祭壇はまさに色彩豊かで天国の様相だったのだろう。魂の束の間の安寧の場。あまりの圧巻にしばしポケッと眺めることしかできなかった。

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 時を忘れて見入った後は、まるで幽体離脱でもしたかのような軽い疲労を覚えながら中庭へ。いっきに差し込む夏の日差しに、肉体の存在と生を実感し我を取り戻す。
 ロの字に巡らされた回廊の中庭は青々とした緑が敷き詰められ、回廊の奥の部屋は訪れる観光客も少なく静謐に満ちていた。回廊の壁にも描かれたフラスコ画を眺めながら、500年前からずっと守られているだろうこの回廊の静謐さに、一瞬、今がいつなのかが分からなくなる。

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昼近くの日差しに照らしだされる回廊と中庭のコントラスト

 歴史ある建造物を見る時、そこにいた人々の残滓に思いを馳せるのが楽しい。建物はかわらず数百年とそこに鎮座しているが、その場を通り過ぎる人間は時を重ねて何千、何万といるのだろう。特に救済の場である教会は、様々な悩みや想いに満ちた人々が多く訪れているだろう。そういった人々をただただ静かに受け入れる場というのはひじょうに寛容にみちていて、それでいて個々人の小さな懊悩などいちいち目を向けないシビアさもあるようで、だからこそ心地が良い。
 これほどの規模の教会を訪れたのも実に19年ぶりだったので、その久しぶりの邂逅はとても衝撃的だった。
 教会や寺院、神社など訪れるのが好きなのは、たぶん人間が手掛けた人工物の中で、神への崇拝という一途な想いだけで数多の人々の手によって何もない所から月日をかけて巨大で美しい建造物を作り上げた事実が実証され実感できる場だからかもしれない。

 久しぶりの教会インパクトに気づいたらすっかり昼になり、またもフラウラと街中を散策しながら途中でやはりまたピスタチオのジェラートで、やっぱり手軽にこんなおいしいジェラートを食べられる近代文明サイコ―!と気持ちを2018年まで巻き戻し、今度は花の都フィレンツェの目玉、ドゥオモ周辺へ。

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大好きなピスタチオ味

 

●ドゥオモ、ジョットの鐘楼、サン・ジョバンニ洗礼堂

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圧倒的な大パノラマ

 フィレンツェで画像検索した時に圧倒的多数でヒットするのが「ドゥオモ」の赤い丸屋根(クーポラ)だろう。
 この聖堂は「サンタ・マリア・デル・フィオーレ」という名で「花の聖母大聖堂」という意味らしい。13世紀に市民を集める場として、そして街の権威を示す建物として作られたこの聖堂、想像以上に大きく堅牢で存在感が半端ない。広場で見上げた時の圧といったら! シンボルの丸屋根は下からだと形が良く見えないので、聖堂の横に建つジョットの鐘楼に上って上からみることに……したのだがだが、けっこうな人が並んでいる。せっかく来たし有名どころを1つは押さえておきたいと並んだものの、昼過ぎの13時、炎天下の直射日光にさらされて待った40分は苦行以外の何物でもなかった。後で分かったのだが、昼前後が一番混んでいるらしい。夕方に通りかかったらほとんど並んでいなかった…。
 しかも苦行はそれだけではなかった。狭い鐘楼の中にエレベーターなんぞある訳なく、414段の狭い階段をひたすら登る、登る! 暑さと疲労で朦朧としながらもなんとかてっぺんの見晴台にたどりつく。
 そこはまさにフィレンツェの天空大パノラマ!!
鐘楼は高さ84. 7mとのことで、高層ビルの建造が禁じられているフィレンツエでは周囲の視界を遮るものなど目の前の聖堂以外何も無い。見渡す限りの町並みが、ただただ広がっているのだ。飛行機も無く、衛星写真なんてものもなかった時代、町並みを眼下に見下ろせる光景というのはとても貴重だったのではないだろうか。そして当時と大きく変わらずに街の景観を保ちつづけたフィレンツェの行政に感服する。何かを守り続けるって並大抵のことではない。この美しさを価値を知らしめ分かち合えなければ、心無い人に蹂躙される余地はいくらでもあるのだ。長い歴史のなかでいくつもの大戦を潜り抜けて今なお存在するこの街自体が宝なんだと。そう強く思わせてくれるドゥオモとジョットの鐘楼だった。

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鐘楼と鐘楼の階段を登るごとに少しずつ丸屋根が姿を見せるドゥオモ


 ちなみにドゥオモはジョットの鐘楼、サン・ジョバンニ洗礼堂との共通チケットで、売り場も数か所とちょっと分かりずらいが、1か所集中の混雑を回避してくれているのがありがたい。勿体ない精神でサン・ジョバンニ洗礼堂も覗いてみた。

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八角形の礼拝堂 中は荘厳かつ神秘な空間



 八角形の礼拝堂は8面にモザイク画がほどこされ、まるで宇宙の摂理を描く曼荼羅に近い趣があり、この聖堂内でじっとしていると、何故か宇宙船の中でコールドスリープにでもなったような気分になる。
 そしてその後は、カフェでビールとほうれん草のソテーでしばし休息してから、いまだ長蛇の列のドゥオモに、共通券だしもう少し後に観にこよう…と、ドゥオモから徒歩数分のメディチ・リカルディ宮殿へ。

 

メディチ・リカルディ宮殿

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 1460年から100年ほどメディチ家が住み、その後リッカルディが所有した宮殿とのことで、メディチ家全盛期の趣を味わいに行ってみたらまぁすごかった!
 外観はバロック様式の石造りで、一見質素な作りで、宮殿だとは分からず通り過ぎかけたほど。それが入ってみたらあらビックリ、まさに豪華絢爛な内装の数々。昔から金は権威の象徴とされてはいたが、ここまでやるか!?という金箔の壁や天井。そしていたるところに描かれているフレスコ画。いち個人(というか一族)でここまでやるか!?という豪華さ。いかに当時、権力も財力も持っていたか、まさにメディチ家の半端なさを体感できる宮殿だった。

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 先述した教会の好きな理由が人々の宗教心による一途さの象徴とすれば、宮殿や有力者の屋敷というのは個人の欲望の権化の象徴である。とどまることのない人間の欲望がこれでもかと込められたある種、暴力的なまでの豪華さ美しさがある。そこで渦巻く人々の思惑や策略の数々……。時を経た今でこそ俯瞰してみることができるが、当時、当事者にとってみれば明日は生きるか死ぬかの瀬戸際の駆け引きも多かったことだろう。そして1個人の欲望がここまでの偉業を成し遂げることができると立証されたことで人間の強かさ、生の強さを知ることができる。欲の権化の宮殿や屋敷はいっそ清々しいほどの力強さを感じるから、これはこれで好き。
 メディチ・リッカルディ宮殿はまさにその良き例。
 中世の生きるか死ぬかで余裕もなかった質実剛健バロック様式から、富を得て明日の生死を一番に考えなくてすむようになった安心感が心に余裕を持たせ、美への関心を高めたのではないだろうか。衣食足りて礼節を知り、その先の心の豊潤さとして審美眼が養われたと思えば、中世ルネッサンスがこのフィレンツェで生まれたのも納得できる。
 そして、そういった美への渇望が生まれたからこそ、美の創出に惜しげなく私財を投じ、パトロンとして才能ある芸術家たちの数々を排出したのだと思えば、それこそがメディチ家の偉業なのではと思う。

 

 そんなこんなで堪能していたらすっかり夕方。ドゥオモの様子を見に行ったら、閉館時間直前で入場締め切られた直後…。なんというケアレスミス! これでまた次回への楽しみができてしまったとういことで。。。

 イタリアの夏は日没が20時代で夕方はまだまだ明るい。疲労はたまっていたが気分は高揚してまだまだ物足りない気分。もう1か所は見たいという気持ちで、宿泊しているホテルに隣接しているヴェッキオ宮が平日22時まで開いていると知りさっそく向かう。

 

●ヴェッキオ宮殿

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 14世紀に建造され、16世紀にコジモ1世の居住となったヴェッキオ宮殿は、要塞のように堅牢な外観の中央に天突くように突き出た鐘楼がシニョリーナ広場のシンボルにもなっている。実際、シニョリーナ広場に行きたい時やホテルに帰る時の目印として重宝した。

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 ヴェッキオ宮殿は長い年月で増設、改造されているらしく、装飾も彫刻やモザイク画やフレスコ画などいろいろな仕様が楽しめる。入口はいってすぐの中庭近辺は唐草模様の柱や天井が素朴だが可愛らしい。多分きっとここに描かれている草花の数々も宗教的な意味合いや当時の風習などあったりするのだろうが、その辺無知な私にはわからず、ただ白い壁を思わずデコりたい衝動だけはなんとなく共感。
 2階はこの宮殿の目玉となる「500人広間」と呼ばれる大広間があり、天井や壁を埋め尽くすフレスコ画は圧巻! 3階の桟敷のようなところからは天井画を間近で見ることもでき。当時、この広間に招かれた人々はあまりの別世界に驚いて、すごさが口コミで広がったんじゃないだろうか。実際にこの広間に入ったことのがある人が累計でどのくらいかは分からないが、確実にステイタスになっただろうし、一目見たら忘れられないインパクトに価値観をゆすぶられたことだろう。それは今でも同じか。ここまでやっちゃう!?と加減を知らない美の暴力に揺さぶられること間違いない。
 書斎らしき部屋には当時の地図や地球儀も飾られていて、地球儀の隅っこには黄金の国ジパングが描かれている。当時、測量されていた訳でも航空写真がある訳でもないから人づての伝言ゲームによる半ば妄想で描かれた日本。それでも、イタリアからしたら最果てにある国まで意識が及んでいたのが驚き。安土桃山時代織田信長バテレンから地球儀を送られて地球が丸かったことや日本のちっぽけさに驚いたんじゃないかと、ある種の同情と共感をもって、何故かイタリアにいながらにして日本の中世に思いを馳せてしまった。
 そして、日没間近の夕景の中で、ヴェッキオ宮殿の窓から眺めたドゥオモの美しさはこれまた格別だった。

 

■夕食:本場の生肉のカルパッチョに初挑戦!肉厚なレアステーキも堪能

 

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生肉のカルパッチョと肉厚のレアステーキでお肉の祭典

 中世の教会や宮殿巡りで一日を費やし大満足でお腹もすっかりペコペコ。今夜はフィレンツェ名物のお肉が無性に食べたい!…ということで、シニョリーナ広場から一本奥まったところに店頭で肉をぶら下げていることから肉料理屋だと思しきトラットリアに入ってみた。結果、大正解!
 遅めの21時に入店したためか客もぼちぼちで、一人で入っても気兼ねしない雰囲気がひじょうにありがたい。メニューはイタリア語と英語でちんぷんかんぷんだが、ひとまず白ワインと牛肉のカルパッチョ、そして本当はフィレンツエ名物のTボーンステーキ「ヴィステッカ」を食べてみたかったのだが、一人だと絶対食べきれないのでフィレステーキを頼んでみた。
 最初にビックリしたのが白ワイン。値段的にグラスワインかと思ったらハーフボトル! え、この値段でこんなに飲めるの?と嬉しい驚き。銘柄はよく分からないが地元のワインらしい。さっぱりとした飲み口で疲れた体に染みる染みる。そしてカルパッチョ。日本だと魚のカルパッチョが多いが元来はお肉でつくられたらしい。ルッコラの苦みと牛肉のうまみにチーズの臭みが一体となってめっちゃ美味しい!!なにこれ!?生肉好きとしては嬉しい逸品! そしてフィレステーキも「肉の塊をただ焼いただけ」感が満載であるが、そこが肉の存在感を最大に活かしていてむしろ良い! お肉食べたぞ!!という満足感が非常に高い一皿で最高! お店も気さくな雰囲気でおひとり様にも優しくて、身も心も満足したディナーだった。

 

こうしてフィレンツェ2日目は約12時間におよぶ中世ルネッサンスを感じる旅となり、まさにその当時へとタイムトラベルしたかのような1日だった。