なんでもない日曜日の幸せ
気づいたらもう10月の上旬も終わろうとしていて、年々加速する体感時間速度の速さにびっくり。
先日訪れたニトリがハロウィすっ飛ばしてフロアのおススメコーナーがクリスマス一色になっていたこともあり、なんだかもう初秋を感じる間もなくすっかり秋となってしまっていた。
緊急事態宣言は無事に解除されたものの、新型コロナが消滅した訳でもないのでまだちょっと旅行に行く気分にはなれず、気づけばアラフォーどころかアラフィフ突入しており、よもやよもやこいつは更年期障害か?という無気力っぷりで、週末は家でゴ~ロゴロ。
そんな日曜日、安定の二度寝で惰眠をむさぼり、覚醒してみたら11時とすっかり昼間近に。
お気に入りの食パンを軽くトーストしてカフェオレを飲みながらTVをなんともなしに見ていたらあっという間に午前中(賞味1時間)は消え去ってしまった。
昼をまわったものの、まだ起きたばかりでトーストとたっぷり入れたカフェオレでお腹も空かない。
かといって出かけるほどの用事も無い。
掃除も先週それなりにやっておいたし、今週末くらいはスルーしてもホコリもたまらないだろう。
とすると特段、何もすることが無い。
なんとものんびりとした日曜の午後。
こんな日は、何故だか焼きたて熱々の小麦とバターの香りに包まれたくなる。
…ということで、お昼ご飯をすっ飛ばして、ほかほかのスコーンでアフタヌーンティーをしようと思い立ったのが1時すぎ。
YouTubeでさくさくでパッカーンと宝石箱のように割れるスコーンのコツを学んでいざトライ。
未だ家には秤がないので、目分量でざっくりと。
どうやらコツは、牛乳を入れる前に小麦にまんべんなくバターを刷り込ませることらしいので、無心で小麦とバターを摺り合わせしていたらあっという間に2時になっていた。
それでも動画で学んだおかげか加減が分かりやすく、なんとなくそれっぽい生地ができあがった。
そこから30分ほど生地を寝かせている間、愛用しているNHK+のデトックス特集で、オーストリアの街並みを紹介しているミニ番組を見ながら脳内トリップ。
来年の夏か秋には世界中のコロナが落ち着いて、海外旅行に行きたい。
この2年で行きたい場所だけがどんどんリストアップされていく。
Googleマップでエア旅行も一時ハマってみたものの、やっぱり現地の空気を肌で感じたい。
そしていずれ行った時に「あれ?なんか見たことある?」と既視感を覚えないよう、敢えてGoogleマップのストリートビューは封印した身には、15分くらいのながら見な旅番組がちょうど良い。
そうこうしているうちに生地を寝かす時間も良い頃合いになり、冷蔵庫から取り出してみるとほどよい硬さで良い感じ。
何回か折りたたんでは平たくしてを繰り返してから、お菓子用の丸形など家にはないので、包丁で四角くザックザックと切り落とし。
YouTubeによると側面を触ると断層が潰れちゃうそうなので、そっと生地の下にヘラを挿し込んで、左手は添えるだけ…の状態で天板に並べていく。
そして仕上げに牛乳を刷毛で塗り込み、いざオーブンへ!
200度のオーブンで15分ほど焼いている間に、アフタヌーンティー用の紅茶や果物を用意。
お気に入りの小型の丸テーブルを窓際に置いて、のんびり空を眺めながらアフタヌーンティーをまったり楽しんだのだった。
今日はお天気も良かったので、窓から見える空も青空に秋の雲が映えて癒される。
まったり空を眺めつつ、お気に入りの紅茶と焼きたてのスコーンをほお張って。
そして、昨日スーパーで買った、リンゴのシュトレーレンと柿で秋の味覚も楽しみつつ、ひとりのんびりしたひと時を堪能したのだった。
(ちなみに焼きたてのスコーンは、パッカーンとは割れなかったものの、今までで一番サクサクの出来だった)
そうしてまったりアフタヌーンティーを愉しんだおかげか、すっかりお腹いっぱいになったせいか、気力も復活。
せっかくなのでちょっと腹ごなしでもしようかと、多摩湖へ。
夕暮れ間近の多摩湖の堤防沿いの遊歩道は、そこそこの人でで、みなそれぞれ、夕暮れの空を映す多摩湖を激写していた。
私も漏れなく激写。
日が暮れ始め太陽が沈むにつれて少しずつ空の色合いが変わっていく様子がとても美しい。
二度と同じ空模様にはならないのかと思うと、今日この日だけの地球の美しいライブペイントを鑑賞しているような気持になってくる。
美術館での絵画鑑賞も好きだけれど、こうして自然が描く刹那の美をぼんやり気ままに眺めるのもまた癒される。
そして癒しと同時に、壮大な自然が作る圧倒的美の裏側に隠された自然の驚異の片鱗に、抗ってもしかたない、なるようになるさという気持ちにすらなってくるのだから不思議。
…とまぁ特に何がある訳でもない、なんでもない日曜日。
それでもなんでもない日であることが本当はとても貴重で幸せなことでもあるのだと、あらためて何もない一日を過ごせる贅沢さを噛みしめたのだった。
休息と安寧に満ちた日曜日は、やっぱり私にとって必要で、こんな日を過ごすことができる幸せを大切にしたい。
無我の境地のはずが雑念だらけの週末ウォーキング
今週のお題「サボる」
平日すごく忙しい訳でもないけれど、精神的にやる気がまったく出なくて最低限の業務で精一杯な平日。ややもすると心はどこか違う世界についつい飛んでいっちゃいそうな、足元フワついた日々だったせいか、なんだか無性にダルイ。
何もしたくない~もうどうにでもなれ~と、やや捨て鉢な気持ちで、土曜日は大半を寝てすごしてしまった。家事もサボりまくりで買い出しもせず冷蔵庫にあるものだけでとりあえず一日をしのいで、夜も早めにベッドに入ってスマホをだらだら見てるうちに寝落ち…というなんとも人生サボリまくりな一日で終わってしまった土曜日。
爆睡しまくったせいか、日曜は私的には休日にしては珍しく早起きな9時起床。
午前中のんべんだらりんと数時間すごしても、午後半日がありあまっている。
特になんの予定もない日曜の午後、はてさて何をしようかと思うものの、コロナの影響で旅には行けないし、街に出る気力も全くない。近隣住宅街を散策してちょっとしたカフェで午後のおやつ…という気分にもならず。天気も微妙な曇り空となれば未知なる場所へ探検!という気分にも全然ならない。テンションまったく上がらない。
とにかく人気のないところでブラブラしたい…という曖昧な気持ちで、そうだ、多摩湖でも散策するかと、ほぼノープランでぶらりお散歩へ。
天気が良ければ多摩湖の先の狭山湖まで行って、トトロの森で憩いのひと時という手もあったのだが、曇り空では全然テンションあがらず。しかも夏の森は恐ろしいほどの蚊がいるのだ。なので今回は森には入らず多摩湖の自転車歩行者道をただぐるりと歩くことに。
延々と続く遊歩道をひとり黙々と歩けば無我の境地になるに違いない…と思いきや、ブラブラ歩いていると湧いてくるは沸いてくるは様々な雑念。
景色もながら見しつつも、曇天の中ではせっかくの美しい自然の風景も曖昧な景色となってしまい、写真を撮る気力もあまり湧かないので、どうしても自然を満喫というよりかは脳内会議がメインに。
仕事の細々した案件を徒然なるままに思い出しては、あ、あの時こうしたらよかったかも、今度はこうしようか…と当時の自分とはまた違った視点で向き合うことができ、仕事でのちょっとした行き違いや思い違いも、まぁ誰が悪い訳でもなくタイミングの問題だし仕方ないよね☆と割り切る心境に至ったのだった。
…なるほど、座禅ではないけれど、半ば無意識に歩くことでむしろ瞑想に近いモードになるのか。
なんと気づけば、途中、細々と水分補給の休憩を取りつつも、約2時間半くらいかけて多摩湖半周していたのだった。
依然は半周どころか4分の1周くらい、3~4キロがせいぜいで、半周コースの場合はメットライフドームから西武鉄道でショーカットしていたものだが、いまはなんとか半周なら歩けるようになったのだから、身体の鍛錬も自然とできているということかもしれない。
運動嫌いでたいした運動もせず、ややもすると一日ソファーとベッドの上でゴロゴロしているような自堕落な私でも、近隣に何もないという半ば強制的な隔離環境となれば歩かざるをえない訳で、気づかないうちに1キロが3キロになり、3キロが7キロへと強靭な脚力が鍛えられたのかと思うと得した気分になって、なんだか嬉しい。
そして汗だくになって帰ってきてから入るお風呂が最高に気持ち良い…!
普段はシャワー派なのだが、ウォーキングの後はやっぱり浴槽にお湯をはってお気に入りの入浴剤を入れた温泉気分なお風呂に限る。
日帰り温泉も良いのだけれど、夏場は日帰り温泉の帰途でまた汗だくになってしまうので、やっぱり最終ゴールのお家についてから、のんびるゆったり気兼ねなくお風呂に入ってさっぱりできるのが至福。
さらにさらにこの後はキンキンに冷えたビールも待っているのである♪
気づけば平日の仕事のモヤモヤも汗と一緒にすっかりデトックスされ、気分はビールに全集中!
…とまぁ、実に人間としてシンプルなことことのうえない境地がなんとも楽ちんなのだ。
特にこれといったこともない週末ではあるけれど、この何もない中での気ままにのんびりできるのが寧ろ最高の贅沢なのかもしれない。
真夏のネバーエンドなウォーキング
なんとかワクチン接種1回目を果たしてから微妙に体がダルイ日々が続いたと思ったら、今度はお盆時に連日の雨で異例の冷夏となって、どこにも行けず。
雨が降ると途端に機動力が0近くなってしまい、家の中でやる気の出ない体でゴロゴロしながら過ごしていたら、だいぶ体が鈍ってしまった。
金曜は仕事だったにもかかわらず鈍った体が半ば職務放棄でダッルダル。仕方がないので金曜は早めに切り上げ、土曜はほぼ一日寝てた。
さすがに寝すぎて体力も回復!そしてお天気もようやく晴天を迎え、ちょっと雲が多いながらも雨ではない週末。
となれば近所をプチトリップ!‼
…ということで、今回は、西武園駅の近くにある「荒幡の富士」なるものに行ってみることに。
Googleマップくんによれば、多摩湖の堤防沿いの道を突っ切っていくと近いらしい(といっても数キロ)。
ということでまずは多摩湖へ。
ちょっと雲が多いけれど、合間に除く青空が湖面に映り込んで美しい。
雲もまるで絵に描いたかのような造形美。
なんだかまるで細田守監督の映像に出てきそうな雲の美しさをしばしボーッと眺める。
自然の作る美しさはやはり偉大だ。
多摩湖を突き抜けて「荒幡の富士」を目指すのだが、案の定、道を間違える。
よくよくGoogleマップを確認して指示された分岐点に戻ると、え?これ私道じゃない⁉という細い道が…。
しかも坂道。
最短距離の効率だけを選択したGoogleマップくんの容赦無さが垣間見える。
それでも、今回はけっこう歩くことになるのでどんな道であれ最短ルートが望ましい。
Googleマップくんの導きのまま、人っ子一人いない山の細道を突き進んでいくことに。
結果、西武園ゴルフの周りをぐるっと巡る山道のようなところを突き進んでいくことになったのだが、あまりの人気の無さに、脳内、火曜サスペンスの音楽がドンドコ鳴り響く。
若干、競歩ばりのスピードで西武園沿いの細道から抜けて人家が見えた時の安心感といったら!
さながらアトラクションばりの心拍数である。
超自然の地はむしろ自然と自分という向き合いなので、自然の過酷さに立ち向かうことに全集中!ではあるのだが、こういう半端な自然というか集落の端っこの人気のない場所というのが人災と自然災害の両方がありうる分、一番、怖い。
そんなドキドキ感を頂きつつもなんとか荒幡富士の近くまで来ると、「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」なるものに遭遇。
無料で施設に入れるということで、涼みがてら入ってみたら、山の動物や昆虫たちの標本が飾ってあって、ちょっとした山里学習を味わえる。
なんだか夏休みの宿題って感じでワクワクする。
「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」の遊歩道を突っ切って、ようやく目的地の「荒幡の富士」に到着!
www.city.tokorozawa.saitama.jp
「荒幡の富士」は富士山参拝がままならない人たち向けの人工富士山なるもので、本物の富士山に登れない代わりに近場の人工富士山登ってお祈りしよ!…という代物らしい。
確かに良く見ると盛り上がった土が富士山のような形をしている。
入口には鳥居が設え小さな社や猿田彦の石塚なども
さらに人工富士の頂上に向かうにはつづら折りの路が作られており、折り返しごとに「一合目」「二合目」と標識が経っていて、富士山バーチャル体験ができちゃうのだ。
昔の人の数少ない娯楽という感じがして味わい深い。
人工富士の山頂に辿り着くと、ちょっとした展望台のようになっていて、360度のパノラマ風景が楽しめる。
改装された西武園ゆうえんちのゴジラ・ザ・ライドの夕陽館やタワーなども見えて楽しい。
訪れる人もほとんどない穴場なので、ある意味、富士山からの眺望を独り占めできる贅沢さ。
この日は生憎と雲が多くて富士山が雲で隠れてしまっていたが、雲の少ない日は富士山がはっきりと見えるらしい。
(多分、夕陽館とタワーの間あたり)
富士山は見えないものの、広々としたパノラマ風景はかなりの気分爽快!
大量の汗もかいて、バーチャル富士山参拝で心も落ち着いて、心身ともに良いデトックスとなったのだった。
ちなみに帰りは夕方も近づいてきたので、山道ではなく町中の路を通ろうと、「荒幡の富士」を超えたさらに先の山道を降りて人家へと降りていってみたのだが、そこからが長かった…。
降りた先はまたも分岐点を間違えたのか、またもや西武園ゴルフ場沿いの路。
人気のない細道をゴルフ場を右手に眺めながら黙々と歩き、そこから立派なお寺を通り過ぎて大きな道へと出たものの、家に帰るにはまた多摩湖を目指さなくてはならない。
結果、西武園ゴルフ場をぐるりと一周したことに…。
流石に疲れたので、途中みかけた大型スーパーでしばし涼んでから、パピコを買って休憩。
スーパーの前のベンチで一人黙々とパピコを啜る40代という図になってしまった。
いやぁ、それにしてもめちゃ歩いた体に染み入るパピコの美味しさ…‼
ここでビール飲んだら最高の一杯だろうなぁと思いつつ、帰り道もまだ数キロある現実に、パピコを啜ってしばしの現実逃避。
とはいえ、家の近くまで走るバスのルートからは微妙に逸れており、かつタクシーなど見当たらず、迎えに来てくれるような人もいない現実に、再度、こわばった足を奮い立たせて、いざ帰還。
パピコで体を冷やし糖分補給したおかげか、思いのほか歩くことができて、また振り出しの多摩湖へと無事に戻ることができたのだった。
ちなみに多摩湖から雲陰に隠れる富士山が半分ほどではあるが見えたので、今回のミッションは無事に終了。
西武園ゆうえんちの観覧車も青空の下、良い感じ。
荒幡の富士から眺めた遠くにあったタワーを今度は近くに見て、けっこうどころかだいぶ歩いたなぁと実感。
午後目いっぱい使った気分ではいたハズが、実際は途中度々の休憩挟んでも3時間くらいのウォーキング。ではあったのだが、心情的には久々にエンドレスウォーキングだった。
なんとか体力がもったのは、前日早めに寝て、9時間くらい爆睡した賜物かもしれない。
何はともあれ、近場のウォーキングでありながら未知なる場所との遭遇や、人気のない山道でのアップダウンと、ワクワクドキドキ真夏の大冒険的な半日を過ごせたので大満足!
私的な今年の楽しい夏休みの思い出となったのだった。
真夏の狭山緑地とひまわり畑をウォーキング
夏真っ盛り!で暑い日々が続く今日この頃、ついついクーラーつけっぱなしの家の中にお籠りし、一歩も外に出ない日も。コロナ禍の中ではある意味、適切な過ごし方ともいえるけれども、家の中でじっとしていると運動不足とストレスも散り積もになってしまう。
ということで、人気のない場所でかつ夏の日差しをあまり浴びない場所ということで、気温が高まる前にと午前中に狭山緑地を経て、ネットニュースでたまたま知った武蔵村山のひまわり畑を目指して散策することに。
多摩湖をぐるりと巡る自転車歩行者道の途中に見かける狭山緑地。
気になっていたものの中々訪れる機会がなかったので、この機に思い立って行ってみたらビックリ。
思った以上に自然公園の感じで散策路が整備されていて歩きやすい。
そして鬱蒼と茂る木々が夏の日差しを遮って、まさに緑のカーテン!
しかも全然人がいない。まさに貸し切り状態で広々とした緑の空間を愉しめる贅沢さがたまらない。
木々を通して届く柔らかな光に、鳥のさえずりが響き渡り、夏の緑の香りが満ちた緑の空間で、とっても癒される。
整備された竹林が気持ちちょっと京都の嵐山を彷彿とさせて、なんだかちょっとプチトリップした気分に。
街と緑地帯の狭間に祀られた熊野神社が趣深い。
熊野神社からまた散策路に戻ると、今度はウッドデッキの路が続く。
そこそこのアップダウンも、ウッドデッキの路というだけでなんだかあそび心が増して苦にならずに楽しめる。
そして、ウッドデッキの路の先には展望場所もあって東大和市の街並みを一望できる。
眼下に広がる街並みとどこまでも青い夏の空に気分も爽快!
ヒノキの森を抜けてまた多摩湖の自転車歩行者道へと戻ると、今度は南下して上北台駅方面へ。
■武蔵村山ひまわりガーデン
微妙に道に迷いつつもなんとか辿りついた武蔵村山ひまわりガーデン。
敷地一帯にさまざまな種類のひまわりが咲き誇…というか生憎、一番の見ごろの時期は逸したようで6割くらいは花弁がおちてしまい、昼時という時間帯のせいか首を垂れたひまわりたちが多い。
それでも種類によってはちょうど満開のものもあって、なかなかの見応え‼
そして、ひまわりといっても実はけっこうな種類があるんだと改めて知る良い機会にもなったのだった。
ひまわり畑の中にはゴーヤカーテンに覆われた緑のトンネルも設置されていて、ひまわりをイメージしたのか黄色いベンチが可愛らしい。
2時間弱かけてゆったり気ままに夏真っ盛りのウォーキングを満喫して大満足。
…なのだが1つこの時期ならではの失敗が。
狭山緑地、めっちゃ蚊がいる…!
無防備に虫よけスプレーせずに緑地帯に突っ込んだものだから、相手にしてみたら久々の人間の血に祭り状態かというくらい蚊が押し寄せる(笑)
腕と足をこれでもかというくらい刺されまくり、めちゃ痒い。
夏の森はなるたけ肌は露出せず薄手の長袖長ズボン装備が必須であることを身をもって学んだのだった。
蚊の襲来には参ったが、夏の猛暑の中、緑の癒し空間はかなりリフレッシュできるので、また8月の良き所で狭山緑地の散策に訪れたい。
今度はもうちょっと早起きして朝(といっても8~9時台)の散歩も涼し気で良いかもしれない。そして家に戻って挽きたての珈琲を愉しんだら、気分はちょと軽井沢な贅沢さを味わえるかも。
遠出の旅行はままならないものの、今年の夏は身近な場所でプチトリップ気分を満喫しようではないか。
梅雨の合間のウォーキング日和~東村山・北山公園の菖蒲を愛でる~
例年より1週間ほど遅れての梅雨入りということで、ここ最近は雨やどんよりお天気が続いていて、なんだか気持ちもどんより。
そんな中、久しぶりにお天気の良い休日、ちょっと気になっていた公園へ運動不足解消かねウォーキングすることに。
今回目指すのは東村山市の北山公園。
www.city.higashimurayama.tokyo.jp
GWに暇つぶし兼ねて近場のプチトリップで出かけた際に見つけた公園なのだが、6月は菖蒲がたくさん咲く公園として有名らしい。
今年もコロナの影響で残念ながら出店とかも出る「東村山菖蒲祭り」は中止になってしまったが、園内は菖蒲がたくさん咲いているらしいので、菖蒲を愛でに行くことに。
今回は西武園の近くのルートから八国山緑地の西側を少し通って公園に行くことに。
前回は夕方だったせいかちょっと怖かった八国山緑地だったが、今回は昼過ぎで気力体力も十分だったので、気兼ねなく森の細道をガシガシ歩いて、まずは森林浴。
梅雨の合間でちょっとぬかるんだ道に足を取られないよう気を付けつつ、新緑の清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んでリフレッシュ。ここ最近ちょっと忙しかった平日というか仕事の記憶が遠い彼方に飛んでいく。プチ記憶喪失になりながら気づかず溜まっていたストレスも森に浄化してもらって、さらに身軽な気持ちで足取り軽く、森を抜けて北山公園に向かう。
北山公園はそこかしこに菖蒲が咲き誇り、とても美しい景色が広がっていた…‼
一面の菖蒲。
こんなにたくさんの菖蒲を見たことってあったっけか?
菖蒲は池や川に生える植物とのことで、水田のように区分けされた湿地に、整然と植えられた菖蒲たちがこの季節だけの特別な花の絨毯を織りなして、時折雲の隙間から覗く太陽の光に水面がキラキラとさざなってとっても癒される。
菖蒲といってもさまざまな種類があるらしく、色も濃紺、濃い紫から薄紫、白やピンク、黄色などいろとりどりながら、艶やかな緑の葉が多いせいか目に優しい。
家族連れやカップル、友達同士、おひとり様など実にさまざまな人々が一緒になって、同じ景色を堪能しているのもこれまたおかし。老若男女問わず美しい景色を愛でたいと思う気持ちを持つ人々と思えば、細いあぜ道のような通路も譲り合う気持ちが自然と芽生えてくるのか、絶妙なディスタンスを取り合う空間にもなっていた。
ちなみに本当は菖蒲、あやめ、杜若と種類があるらしいのだが、一見様な私にはまったく見分けがつかない…。
この公園に咲いている花すべてが菖蒲なのか、それともあやめや杜若も混じっているのかはさっぱり分からないので、後で鬼のように撮りまくった花の写真をじっくり眺めながら調べてみようかなと思う。
線路沿いには真っ白な紫陽花が咲き誇っていて。こちらもまた美しい。
時折走る西武線の黄色や赤の電車とのコントラストがこれまた趣があって旅情を掻き立てる。
この日は北山公園に到着するころには雲が多くでてきてしまったものの、雨にもふられず、伸び伸びと自然の美しさを堪能することができたウォーキングだった。
とはいえ帰りはすっかり疲れてしまったので、東村山駅からのバスを利用して帰宅。それでもそこそこの距離を歩いて汗もかいたので、久々のお天気空に夏への予感も抱きつつ心身ともによいデトックスな休日になったのだった。
梅雨空の向こうには、また新しい夏が待っている。
月に1度のお部屋デトックス
今週のお題「575」
梅雨空に 七変化せし 部屋と吾
ここ最近というか、寄る年波には逆らえぬというか、すっかり体力が落ちて気力もあんまり湧かないので、週末は1日外出するともう1日はどこかに出かける気持ちも萎え萎えに。
そんな時は無理せずに家の中でゴロゴロするに限る。
のだが、そうなると部屋の快適さというものもまた気になってきてしまう。とはいえ、いつも掃除するというのもめんどくさい。
そんな訳で、おひとり様の醍醐味というか一人じゃそんなに汚れないっしょ!という思いから、掃除は週に1度。模様替えは年2~3回で過ごしていたのだが、部屋もまた寄る年波には勝てず。生活の澱のようなものが気づけば溜まっていってしまう。
ということで、外出しない週末のお休みを活かして、月に1度はお部屋のデトックスもするように。
最近、涼しかったり暑かったりで洋服を出しては試し、また出しては試しをしているうちに、部屋に出しっぱなしになった衣類も増えてしまったので、まずはお洗濯。
ついでに、ここ数年来ていない服も断捨離しつつ、押し入れの中も整理整頓。ついつい押し入れにつっこんだだけだったフトンカバーなどもテトリスのように収納ケースに詰め込みながら夏のシーツなどを入れ替え。
その次はテーブルの上や台所に、ちょっと便利で置いていたものや惰性で置きっぱになっていたものを精査して片付け。ついでに冷蔵庫の中も点検して次に補充すべき調味料などを点検。
棚の上なども整理してホコリもしっかり払った後は、いつもはちゃちゃっと掃き掃除ですますところを、この日ばかりは隅々までしっかり掃き出す(ちなみに掃除機は重いし音が煩いので何年も前に放棄してしまった)
カーペットはコロコロで粘着シートを惜しまずに何回も使ってざらつき感を排除。
100均で買ったカポックが良い塩梅に育ったので、この前買ったお気に入りの植木鉢に植え替えし、ついでに他の観葉植物も剪定。
そうして最後は台所の排水口の大掃除。6月のこの季節、急な暑さとじめついた湿度で菌が元気すぎる。排水口があっという間に汚れてしまうのだ。週1の掃除で軽く掃除はしていても、元気な菌の勢いに追い付かず。根本的な処置をせねばと、重曹パックで漬け置き。
…とまぁ、普段だとなかなかできないことをTVをながら見したり、途中休憩も細々入れお茶したりスマホでネットみたりゲームしたりしつつのんびり気ままに部屋と私と重曹的なノリで目に付くところからデトックスすると、夕方くらいには良い塩梅の清潔さとキレイさに気持ちもリフレッシュするので一石二鳥なのだ。
そういや数年前は都内に住んでいた気軽さとアラフォーの焦りの2乗で、月に1度はエステに通っていた時があった。痩身というよりも現状維持で精一杯ではあったけれども、体内の溜まりまくった澱が放出される気持ちよさは何物にも代えがたかったのだ。
今はエステの代わりにお天気の良い日に緑の多い場所を散歩というかプチウォーキングすることでだいぶリフレッシュされているので、部屋のメンテ代金や模様替えに費用を投じるように。
なのでエステ代相応の何割かを部屋の光熱費や維持費に回してもまぁ収支的には良かろう。
本当はもっと断捨離してシンプルな生活に憧れるのだけれども、ついつい物欲が勝ってしまうのだが、それもまた楽しみの一つとして無理せず程よくキレイで好きなものに囲まれた部屋で良いではないか。
そうしてすっきりしたお部屋で飲む、キンキンに冷えたビールが最高に美味しい。
やはり人も部屋も長い時を経ると定期的なデトックスが必要なのだ。
実写映画「るろうに剣心」という最高質のファンタジー
未だ緊急事態宣言下ではあるものの、映画館が入場者半数以下で再会したこともあって、週末の昼過ぎに待ってました!とばかりに映画館へ。
これといった没頭する趣味もないおひとり様の休日、街に出る用事といえば、かつては友人たちとの飲み会だったが、今は飲み会もままならず、おひとり様で映画&ショッピングくらいしか楽しみがないのだ。
ちなみに緊急事態宣言下で初めて映画館に行ってみたらビックリ。入場者数半減ということで席が1席ずつ空けた仕様に強制的になっているのだが、これがもうすごく快適。半個室なプレミアムシートを予約する必要なくゆったりした空間で鑑賞できるのだ。しかも、カップルだろうとファミリーだろうとおひとり様だろうと誰もが皆、1席ずつ空いているいう強制的な平等が、不謹慎ながらおひとり様には実に心地よい。
ということで、両脇のカップルやファミリーに気兼ねすることなく「るろうに剣心」最終章のThe Finalの鑑賞に没入してきたのだった。
「るろうに剣心」の漫画は20年前くらいに読んでいたものの、実は映画は見ていなくて、先日の金曜ロードショーで初めて観てビックリ!
佐藤健さん演じる剣心がビックリを通り越して神聖なまでに美しかったのだ!(超今更ながら…)
まさにビスコンティの「ベニスに死す」のタッジオを見た時と同じような衝撃だった。
そんな訳で、最新作の「るろうに剣心The Final」をリアルタイムで大画面で観られることがすごく楽しみだったのだ。
はてさて初めて大画面で観ることのできた映画「るろうに剣心」なのだが、大画面で超どアップになっても美しい佐藤健剣心にすっかり魅入られてしまった。
■明治浪漫満載な美術
最近、ドラマ「晴天を衝け」が楽しみな身として、明治維新の動乱のその直後が描かれた「るろうに剣心」は役者がアミューズ繋がりというのもあってか、なんかこう地続き感すら感じてしまう。
しかも映画冒頭は開設されたばかりの鉄道でのバトルアクションで、すわ「鬼滅の刃 無限列車編」の実写版か⁉と思わせるような大迫力。
かつ時代設定的に剣心が「人斬り抜刀斎」として名をはせた戊辰戦争から10年後くらいらしい。戊辰戦争が明治元年~2年の1868年~1869年頃なので、今回の舞台は1878年~1885年くらいだろうか。となると英国はビクトリア時代で、中国は清王朝、日清戦争のちょい前くらいで西欧文化がどんどん流入し始めた黎明期ということになる。
冒頭の町の美術がまさに文明開化しちゃったよ!な賑わいで、ある種ノスタルジックに美しく再現されていたのを見るだけでも楽しい。
時代はもう少し後になるけれど「ファンタスティックビースト」好きで、ビクトリア時代からエドワード時代に変遷した家具や装飾の美しさ好きには、その片鱗が「るろうに剣心」の映画の美術にも感じられて、まずそれだけで私にとっては良質なファンタジー映画として実に楽しい。
マンガから実写になったことで、こだわりの美術がすごく映える。
かつ、明治浪漫をファンタジックに彩る要素にもなっていて、ある種、超人的な者たちのド派手アクションを際立たせてくれる。
■3次元の美形揃い
今回、初登場の剣心の妻、雪代巴(有村架純)とその弟の縁(新田真剣佑)が美人すぎる姉弟で。しかも真剣佑さんの整いすぎた顔と声の良さが、冒頭早々に登場した縁というファンタジックで超2次元な造形のキャラクターを違和感なく一気に3次元に繋げてくれる。しかも後半の剣心とのタイマンで魅せた二の腕の筋肉が惚れ惚れする。他のドラマや映画では線の細い印象を受けていただけに、細マッチョな肉体改造が役者魂!天晴!と喝采したくなる。しかもこの雪代縁。思春期に最愛の姉を亡くしたことで心がずっとその時点で凍結してしまい、強さだけをひたすらに求めて外側(=肉体)の強さばかりに執着した人物なのだが、内面のナイーブさと外側の強靭な肉体のアンビバレントな美しさを見事に体現されていて素敵だった。
そして、佐藤健さん剣心の美しさといったら!
監督もその良さを最大限に、何度となく剣心の超ドアップを大画面に映し出してくれるのだが、これがもう本当に美しすぎて。生身であることを存分に感じさせてくれつつも、まったく作画の崩れない神作画のような3次元と2次元の良いとこ取りをしたかのような美しさがそこにはあって。
個人的には、あの長髪を違和感なく、いやむしろ剣心の美しさを際立たせる一部として遺憾なく活用しているところと、重い過去を抱えついつい伏し目がちになりがちな剣心の瞳に陰りを帯びるまつ毛の長さがあまりにも美しすぎてめっちゃ好み。
なんかもう本当にそこにいる実在感を違和感なくかつ美しさを増して世に出してくれただけでも映画の通常料金を払う価値が十二分にありすぎて、その美しさに映画料金だけじゃ安すぎるような気持にすらなってくる。
そして、実写映画「るろうに剣心」もシリーズ足がけ10年ということで、メインキャラの役者陣の円熟さがまた味わい深い。
(金ローで初めて観た1作目と、今回のFinalが実質2作目な自分が言うのもおこがましいが…)
特に、薫演じる武井咲さんが良かった。金ローで観た1作目は約10年前ということで、まだ10代後半で役者経験も始まったばかりということで若さが全面に押し出されて演技というよりは美人な若手という印象が拭えなかったが、今回の薫は雪代巴にも通じる大いなる母性する感じさせるのだからスゴイ。
「黒革の手帳」を経てプライベートでもオトナの女性となった武井咲さんの魅力がすごく出ていて、なんかこう、剣心を幸せにしてくれるのは薫殿だよね!と有無を言わせない説得力があった。
しかも、剣心の元妻の雪代巴を演じる有村架純さんと、武井咲さんの顔の造形はまったく違う傾向なのにも関わらず、時々、薫殿が巴殿に似てる⁉と思えてきて、そりゃ、縁も思わず無意識に庇っちゃうよな…と妙に納得させるものがあったし、ああ、剣心ってやっぱりこいいう女性がタイプなんだ、そりゃ他の女性(観客含む)は太刀打ちできないわぁ、もうどうかこの後はお幸せにね‼と思わせる力技にも似た凄みが今回の武井咲さんの薫殿にはあり、まさにFinalに相応しかった。
他の役者陣も皆さんそれぞれ素敵で違和感がないのが逆に違和感なくらいスゴイ。なんかこう役者陣とスタッフ陣一丸になってこの世界を作り上げようという気概が至る所に感じてそれだけで胸アツだった。
■超絶アクションと残虐さが際立たせる刹那の美
金ローで1作目しか観たことない身で言うのもなんだが、今回のFinalは残虐さが増したような印象を受けた。それだけ戦いが激化したことの現れかなとも思うのだが、円熟した役者陣とこの10年で培われた日本映画の技術力が集結したことで、超絶アクションとしての映えと苛烈な戦いの演出増し増しが残虐さもまたリアル寄りになったのかなと思う。
個人的には残虐シーンは苦手で、抗争物とか戦争物とかできればあんまり見たくないのだが、「るろうに剣心」はキャラクターと美術の美しさが残虐さを緩和してくれて私的にはギリギリラインだったかも。
とはいえ、アクションがより過激になっても造形が崩れない真剣佑縁のイケメン力と、佐藤健剣心の顔のキレイさと所作の美しさが、まさに神のあたえし賜物‼という眼福さで、そして周りが戦いで汚れれば汚れるほど二人の美しさが異質なほどで、そしてまたその美しさは苛烈な戦いの中だからこそ際立つ刹那の美でもあり、だからこその見応えになってくる。
2次元的な美しさを保ちつつも、置物としての静物としての美しさではなく、生きている人間の動の美しさがそこにはあるのだ。
■史実物ではないファンタジーものとしての面白さ
ベースは明治維新直後の世界ではあるけれど、文明開化の混迷の日本を舞台にもし超人的な人々が活躍したら?という、一種パラレルワールド的な世界が「るろうに剣心」なのかなと思う。
その手法はとてもジャンプ的だなと思うし、ヒーロー物としての基本かもしれない。
しかもかつて若かりし頃に読んだ漫画をベースにしており、私たちの知る史実とはまた違ったファンタジー世界であることが前提であることをすでに十分刷り込まれた上での実写化ということで、二重三重のフィルターが掛けられた世界観であることが、観ている側もすんなり納得した上で鑑賞できることがマンガ原作の良さかもしれない。
お話の展開的には実にファンタジックなものではあるのだが、それ故に物語世界に没頭できる心地よさがあった。
本当の歴史のほうがもっと泥臭くて魑魅魍魎な恐ろしさが累々だろうけれど、そのエッセンスを上手く抽出しダイナミックにそして美しく再構築したファンタジーの良さがそこにはあって。
だからこそ、観ていてとても心地良い。
それこそが幻想浪漫の醍醐味と思うと、実写映画「るろうに剣心」は最高質のファンタジーなのではと思う。
…とまぁ、想いのままに徒然に書き連ねてしまったが、やっぱり絵面の強い映画は観ていて楽しい。
そして映画館という大画面かつ大迫力の音響で堪能できる幸せ。
やっぱり映画って楽しい。
だからこそ、満員の映画館で自由に飲食しながら時間も選び放題だったコロナ前のあの頃がすでにもうファンタジー世界かと思うような日々となってしまったけれど、いずれまた気兼ねなく伸び伸びと映画鑑賞を楽しむことができる未来を願わずにはいられない。