なんでもない日曜日の幸せ
気づいたらもう10月の上旬も終わろうとしていて、年々加速する体感時間速度の速さにびっくり。
先日訪れたニトリがハロウィすっ飛ばしてフロアのおススメコーナーがクリスマス一色になっていたこともあり、なんだかもう初秋を感じる間もなくすっかり秋となってしまっていた。
緊急事態宣言は無事に解除されたものの、新型コロナが消滅した訳でもないのでまだちょっと旅行に行く気分にはなれず、気づけばアラフォーどころかアラフィフ突入しており、よもやよもやこいつは更年期障害か?という無気力っぷりで、週末は家でゴ~ロゴロ。
そんな日曜日、安定の二度寝で惰眠をむさぼり、覚醒してみたら11時とすっかり昼間近に。
お気に入りの食パンを軽くトーストしてカフェオレを飲みながらTVをなんともなしに見ていたらあっという間に午前中(賞味1時間)は消え去ってしまった。
昼をまわったものの、まだ起きたばかりでトーストとたっぷり入れたカフェオレでお腹も空かない。
かといって出かけるほどの用事も無い。
掃除も先週それなりにやっておいたし、今週末くらいはスルーしてもホコリもたまらないだろう。
とすると特段、何もすることが無い。
なんとものんびりとした日曜の午後。
こんな日は、何故だか焼きたて熱々の小麦とバターの香りに包まれたくなる。
…ということで、お昼ご飯をすっ飛ばして、ほかほかのスコーンでアフタヌーンティーをしようと思い立ったのが1時すぎ。
YouTubeでさくさくでパッカーンと宝石箱のように割れるスコーンのコツを学んでいざトライ。
未だ家には秤がないので、目分量でざっくりと。
どうやらコツは、牛乳を入れる前に小麦にまんべんなくバターを刷り込ませることらしいので、無心で小麦とバターを摺り合わせしていたらあっという間に2時になっていた。
それでも動画で学んだおかげか加減が分かりやすく、なんとなくそれっぽい生地ができあがった。
そこから30分ほど生地を寝かせている間、愛用しているNHK+のデトックス特集で、オーストリアの街並みを紹介しているミニ番組を見ながら脳内トリップ。
来年の夏か秋には世界中のコロナが落ち着いて、海外旅行に行きたい。
この2年で行きたい場所だけがどんどんリストアップされていく。
Googleマップでエア旅行も一時ハマってみたものの、やっぱり現地の空気を肌で感じたい。
そしていずれ行った時に「あれ?なんか見たことある?」と既視感を覚えないよう、敢えてGoogleマップのストリートビューは封印した身には、15分くらいのながら見な旅番組がちょうど良い。
そうこうしているうちに生地を寝かす時間も良い頃合いになり、冷蔵庫から取り出してみるとほどよい硬さで良い感じ。
何回か折りたたんでは平たくしてを繰り返してから、お菓子用の丸形など家にはないので、包丁で四角くザックザックと切り落とし。
YouTubeによると側面を触ると断層が潰れちゃうそうなので、そっと生地の下にヘラを挿し込んで、左手は添えるだけ…の状態で天板に並べていく。
そして仕上げに牛乳を刷毛で塗り込み、いざオーブンへ!
200度のオーブンで15分ほど焼いている間に、アフタヌーンティー用の紅茶や果物を用意。
お気に入りの小型の丸テーブルを窓際に置いて、のんびり空を眺めながらアフタヌーンティーをまったり楽しんだのだった。
今日はお天気も良かったので、窓から見える空も青空に秋の雲が映えて癒される。
まったり空を眺めつつ、お気に入りの紅茶と焼きたてのスコーンをほお張って。
そして、昨日スーパーで買った、リンゴのシュトレーレンと柿で秋の味覚も楽しみつつ、ひとりのんびりしたひと時を堪能したのだった。
(ちなみに焼きたてのスコーンは、パッカーンとは割れなかったものの、今までで一番サクサクの出来だった)
そうしてまったりアフタヌーンティーを愉しんだおかげか、すっかりお腹いっぱいになったせいか、気力も復活。
せっかくなのでちょっと腹ごなしでもしようかと、多摩湖へ。
夕暮れ間近の多摩湖の堤防沿いの遊歩道は、そこそこの人でで、みなそれぞれ、夕暮れの空を映す多摩湖を激写していた。
私も漏れなく激写。
日が暮れ始め太陽が沈むにつれて少しずつ空の色合いが変わっていく様子がとても美しい。
二度と同じ空模様にはならないのかと思うと、今日この日だけの地球の美しいライブペイントを鑑賞しているような気持になってくる。
美術館での絵画鑑賞も好きだけれど、こうして自然が描く刹那の美をぼんやり気ままに眺めるのもまた癒される。
そして癒しと同時に、壮大な自然が作る圧倒的美の裏側に隠された自然の驚異の片鱗に、抗ってもしかたない、なるようになるさという気持ちにすらなってくるのだから不思議。
…とまぁ特に何がある訳でもない、なんでもない日曜日。
それでもなんでもない日であることが本当はとても貴重で幸せなことでもあるのだと、あらためて何もない一日を過ごせる贅沢さを噛みしめたのだった。
休息と安寧に満ちた日曜日は、やっぱり私にとって必要で、こんな日を過ごすことができる幸せを大切にしたい。