nanami-JP’s blog

40代おひとり様の日々のささやかな幸せ探し。日々の楽しみや旅行記などを徒然に。

ドラマ「私の家政夫ナギサさん」に観る結婚の違和感

お題「気になる番組」

 

 この夏は、火曜10時のドラマ「私の家政夫ナギサさん」を毎週楽しく観ていたのだけれど、最終回を経て3週間たってもなんだか心の隅がモヤモヤして仕方ない。
 なんでこんなにモヤるんだろうと、今更ながらだけれど改めて考えてみた。

 

 ドラマ「私の家政夫ナギサさん」は、アラサー(といってもまだ28歳)で、製薬会社の営業職であるMRとして仕事に邁進するバリキャリ女子として活躍するメイが主人公。仕事ではチームリーダーになったりと順調にキャリアを積んで、同世代よりもかなりの高収入というある意味、勝ち組。けれど、実は壊滅的に家事が苦手で、部屋は汚部屋、食生活はコンビニゴハンという不摂生ぶり。みかねた妹が家政婦をスーパー派遣してくれたところ、そのスーパー家政婦はアラフィフなオジサンだった。

 

……ということで、バリキャリ女子のメイとオジサン家政夫のナギサさんの交流を通じて、現代社会における妙齢女子の生活環境だったり家族の問題だったり仕事への向き合いだったりを軽やかに、そして優しく包み込んで描かれた良作…だったと思う。

 

けれど、やっぱり結末にはモヤモヤするのは何故だろう?

 

一番モヤついたのは、メイとナギサさんが最後急に恋愛っぽい雰囲気を醸し出して結婚したこと。

 

 ナギサさんが部署移動でメイの家政夫ができなくなったことを知ったメイが突発的に「それなら結婚しましょ!」と言うのは、突発的衝動と一緒にいられる理由作りとして「結婚」を閃いたからということで、分からなくもなくもない。しかもお試し結婚という過程を設けたことで、お互いの不一致部分も見つけたり、仕事ではなく素のメイとナギサさんとして向き合おうとする努力も見られた。

 

 その結果、お互いを「好き」だと認識して結婚にいたる訳だけれど。

 

 私的にはそこに最大の違和感を感じてしまったのだ。

 

 もちろん、メイとナギサさんは相性も良くて、一緒にいる姿は微笑ましいし、仲良しなのは見ていてほっこりする。

 

 でも、メイとナギサさんの間にある感情は果たして恋愛なんだろうか…?

 

 お母さんに甘えたい子供の心のまま見た目だけ大人になってしまったメイと、お母さんになりたかったナギサさん。
 この二人の「好き」って、「お母さん大好き!」「娘が大好き」という家族愛なんじゃなかろうか?
というのが、全話通して二人をみて思った関係性だった。
 なので、そこで急に「恋愛」を出してきたのが違和感だったのだ。

 

 全編通じて「恋愛」としての過程が感じられないのに、最終回間近で急に「好き!」「一緒にいたい!」と言い出して結婚しちゃって、周りからも「(年の差はけっこうあるけど)お互い好き同士で一緒になれてよかったね=恋愛結婚おめでとう」的な生ぬるい祝福を受けて私たち幸せ♪みたいなノリがなんだかとっても違和感なのだ。

 

 メイは本当に恋愛として好きなんだろうか?

 

 ナギサさんとSexできるんだろうか?

 

 実はそこが一番気がかりで。

 

 だって、メイの言動に性の匂いが一切ないのだ。

 それでもお互い好きあってます!と周りにアピールする様が、実は私的一番の違和感かもしれない。

 

 

……と、ここまで考えて、ようやく違和感の正体に気づいた。

 

 2人の全編を通じて描かれた言動を元に再検証した結果、結論から言えば、メイとナギサさんは恋愛関係ではない。
 お互いの需要と供給が合致した疑似家族としての家族愛なのだと思う。

 けれど、血の繋がりもないただの他人が親子関係を結ぶという発想がない故に、周りも本人たちも「年の差恋愛」という型に無理くりハメて納得しているだけではないか?

 メイ自身も本音でいえば、ナギサさんはあくまでお母さんなので、親子愛のハグはできてもキスやSexをしたいという感情は無いのではなかろうか?

 ナギサさんはもしかしたら、年若くて可愛いメイちゃんが傍にいたら、人間の本能としてオジサンだってムラッときちゃうかもしれない(笑) ただ、大切なメイちゃんがそういう気持ちを持っていないから優しく包み込む関係でいてくれてるのかもしれない。

 そう思うと、メイとナギサさんは恋ではなく愛、しかも親子愛でしっかり絆を結んだ二人で、それはそれでお互い欠けたものを埋めあう大切な相手と巡り合えてとても良かったなと思う。

 

 そういう意味で、2人が一緒の家庭を築くことはとても喜ばしい。

 

 ただその家庭はあくまで母娘の家庭である。

 

 そう思うと、結婚後のメイの態度もイラつかないから不思議。

 

 実は最終回翌週のスペシャル編という名の総集編で、ちょこっと出てきた二人の新婚生活にもちょっとモヤったのだ。
 ナギサさん仕事もしてるのに家事も全部担当して、それを当たり前だと思っているメイに、少しは手伝えよ!と思ってしまったのだ。
 多分、その時はメイの姿に「オレ仕事がんばってしっかり稼いでるんだから、家のことはお前がやって当然」と素で思っている世の大半の旦那たちの影がチラついてしまったからだと思う(笑)

 

 けれど、今改めて二人の関係が親子だと思ってみれば、メイはお母さんのナギサさんに甘えっぱなしなんだなぁ、ナギサさんもメイの面倒を全力で見るのが生きがいなんだなぁ、じゃあ仕方ないね☆
 …と思えてきた。

 

 それなら、お互いが納得した関係性であればなんの問題もない。

 

(世の中にはお互いの納得ではなく世間の常識とい物差しで一方的にその関係を強いる男たちがいるから悲劇が起きるし、結婚したくなくなる)

 

 

 お母さんになりたかったアラフィフのオジサン家政夫ナギサさんと、仕事はできるがプライベートは何もできない小学4年生くらいで心の成長が止まってしまった大人コドモのメイ。そんな二人が出会ってお互いを必要だと思い、疑似母娘となって末永く幸せに暮らしましたとさ…。

 

 という、現代のおとぎ話として捉えれば、とてもほっこりする。

 

 こうして3週間たってようやく心のモヤモヤが解消され、メイとナギサさん二人のこれからの人生を心から祝福しようと思えたのだった。

 

 そして、最終回でメイが結婚を選択したのは、もしかしたら無意識の策略だったのではないかと改めて思う。

 全く他人のアラフィフ男性と20代後半の妙齢女子の2人が一緒にいるための言い訳、それが「結婚」だったのではないか。

 現代社会で周囲に受けいられる型として編み出したのが「年の差男女の恋愛結婚」という言い訳だったのではないか。

 ある意味、偽装結婚ともいえる二人。

 

 けれど、結婚なんて、本来は社会的生活を潤滑にするための方便や様式でしかない。

 恋愛至上主義で恋愛結婚万歳と持ち上げる現代。疑似母娘の男女なんて世間的には想定外で異端であろう。だからこそ、世間からの防御策として「年の差男女の恋愛結婚」という形を取ったのだとしたら……。

 

 ある意味、メイは現代の歪みが生んだ恐るべき子供なのかもしれない。

 

 

 そうしてドラマ「私の家政夫ナギサさん」を通じて、私たちの無意識層に「結婚なんて所詮は型でしかない。結婚する二人がどう納得し歩みよれるかで幸せになれる」ということを刷り込まれたのだとしたら…。

 

 メイとナギサさんの二人に憧れ、このドラマを面白かった!と喜んでいた世の妙齢の女子たちに、どうかそれが呪いではなく、祝福の魔法として届いていることを祈るばかりである。