nanami-JP’s blog

40代おひとり様の日々のささやかな幸せ探し。日々の楽しみや旅行記などを徒然に。

休日の午後はプラネタリウムで心は宇宙へ【40代おひとり様のスローライフ】

お題「気分転換」

お題「わたしの癒やし」

お題「ささやかな幸せ」

 近くの、といってもけっこうそこそこ歩いた先に、市の小さな博物館には不釣り合いに大きいプラネタリウムが併設されている。
 
 真夏の休日、散歩がてらに訪れてみたら、博物館(というより資料館に近い)は無料!しかもプラネタリウムは大人300円、小人100円という破格の安さ。
 しかも空調もほどよく効いているし、資料室では雑誌『ニュートン』を読み放題だしと、休日の午後のひと時を過ごすのにとても寛げる空間がそこにあった。
 さらに昨今のコロナ禍で人がほとんどいない。
 プラネタリウムも数名の鑑賞者でかなりのソーシャルディスタンスを保つことができる。
 このご時世で街中に行く気力も無く、映画館に行くのも憚れていた身としては、手軽な憩いの場所として休日の楽しみの一つになった。

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 そもそも世代的に、幼少時をアニメ「銀河鉄道999」や「キャプテンハーロック」を観ておとぎ話の代わりに宇宙の星々に夢膨らませて過ごし、小学生の時に年上の従兄の影響で「機動戦士ガンダム」を知り、「聖闘士星矢」のアニメを見て原作漫画というものに興味が沸いて初めて買ってもらった漫画が「聖闘士星矢」だったりと、宇宙には子供の頃の思い出の欠片が一緒に詰まっている。
(その一方で「ベルサイユのばら」や「キャンディキャンディ」、「レディージョージ」など少女向けアニメや偕成社少女小説シリーズにもトキメいていたものだが)
 
 『宇宙』と書いて「そら」と読んだり、『小宇宙』と書いて「コスモ」と読んでは、難局に対峙するときは心の中で呪文のように唱え鼓舞したことも数えきれず。
 宇宙進出してもなお人間の性に捕らわれ互いの主義主張で戦う悲哀に人間の愛しさすら感じたりニュータイプの可能性に不思議な高揚を覚えたりする一方で、宇宙の神秘は己の秘めた力だと、無限の宇宙の創造の一欠片というにはおこがましいほどちっぽけな人間の中にも大きな可能性があることを熱く示してくれたことに勇気をもらったりと、思い返せば子供時代は宇宙が身近な存在だった。
 
 しかも実家はド田舎だったので、見上げればそこに満点の星空、である。
 
 数えきれない星々はいやおうなく宇宙の存在を示すものだから、宇宙というものは頭のすぐ上にある身近な存在だった。
 きっと遠い昔、羊飼いや船乗りたちも頭上を覆う満点の星空の圧に、身をもって宇宙の存在を体感していたに違いない。
 
 とはいえ宇宙へのロマンは抱きつつも気づけば人生の半分以上が東京生活となり、大人になると見上げても星など見えない夜空ばかりで、足元の街の灯りの煌めきにすっかり気持ちが傾いていたのだが、このタイミングでまた手軽にプラネタリウムに通うことができるようになって星空へのロマンが再燃している。
 
 そしてまた数多ある星の中で、太陽系の1惑星が様々な奇跡の積み重ねで緑と水に満ちることができた地球の貴重さもまた再認識するとともに、無限に広がる宇宙の中で、人の一生なんて一瞬のものでしかないのだと改めて思う。そうなると日々の仕事などで生じるモヤモヤも、なんかもうどうでもいいや、と思えてくるから不思議だ。
 
 45分のプラネタリウムを鑑賞した後は、妙に清々しい気持ちになる。
 
 鑑賞料300円と、コーヒー約一杯のお値段で暇な週末の午後を空調の効いた空間で過ごせて、かつストレス解消もできてしまうのだから、本当にコスパ良い。
 
 宇宙にロマンを抱きつつも、心根のところはコスパの良さの喜びが上回る我が身の小ささもまた、可愛らしいモンである。
 
 ちなみにプラネタリウム情報によると8月12日はペルセウス座流星群が見られるらしい。
 コロナ禍で実家にも帰省できずに暇なおひとり様の夏休みの楽しみとして、その夜はベランダでビール片手に流星鑑賞を今から楽しみにしている。