「聖闘士星矢」世代が観たらこうなった。「鬼滅の刃」に思う令和のヒーロー像
コロナ禍でなんとなく息詰まった日々に突如わき上がった「鬼滅の刃」ブーム。でもそれはこのご時世だからこそ、なるべくしてなったことなのだと劇場版「鬼滅の刃」を鑑賞して改め実感した。
「鬼滅の刃」自体は2年前くらいから存在は知っていたものの、40代半ばのおひとり様的に、「バトル物なんでしょ?戦ってどんどん死んでく姿を見るなんて耐えられない、泣いちゃう‼」と思って敢えて目をそらしていた。
それがつい先日、小学校1年生の姪っ子にお正月ぶりに会ったら、開口一番「「鬼滅の刃」って知ってる?」と聞かれ、ちゃんと自分の意思をもって喋る姿にビックリ。
お正月の時はまだフニャついてて幼児だなぁと認識していた姪っ子の著しい成長ぶりに感動しつつ質問理由を聞いてみたら、どうやらクラスみんなでハマっており、映画をいつ観たかいつ観るかクラスメイトのみならず親御さん同士でラインでやりあっているらしい。
そうなる程に一般大衆を巻き込み、かつ観た人々が口をそろえて「良かった!泣ける!」と絶賛している姿に俄然興味が湧いた。
ということで、一応録画しておいたフジテレビで放送されたTV版を観てみたみたら…
「あ、これ日本人ならみんな好きなやつだ、泣ける!」
と、御多分に漏れず一人さめざめと泣きながら休日の午後を費やして「鬼滅の刃」の概要を履修。
そして翌週の休日、がんばって早起きして立川でカジュアルランチを楽しんでから、立川シネマ・シティー・ツーの極音上映を鑑賞。
その2時間後、滂沱の涙で心身枯れ晴らした我が身にしばし茫然としたのだった。
そもそも40代半ばの私にとって小学生時代は「週刊少年ジャンプ」を原作とするアニメが人生の楽しみの大半を占めていた。
「キン肉マン」に始まり「キャプテン翼」「北斗の拳」「聖闘士星矢」のアニメを観ていたら気が付いたら小学生時代が終わってた…ってくらい。
そして生きるために大切なことはすべて「週刊少年ジャンプ」が教えてくれた…と言っても過言ではないくらい、ジャンプが掲げる「友情・努力・勝利」を心の真ん中に構えてこの30年近くを乗り切ってきたように思う。
(ただその弊害で心が少年になりすぎて、「生きることは己と闘うこと!」と求道者精神が強すぎて恋愛力が培われずいまだおひとり様ではあるが…)
そんな40代世代が「鬼滅の刃」を観てまず思ったのが「あ、これ『聖闘士星矢』の和製版だ」。
鬼滅ファンの皆さん、ごめんなんさい。
でも40代のニワカファンの素直な感想ということでご容赦を。
小学生時代に「聖闘士星矢」が好きすぎて、それから三十数年、心に小宇宙を燃やして生きるを信念に昭和、平成、令和の3時代を生き抜いてきたのだから仕方ない。
むしろ「聖闘士星矢」は昭和のバトル漫画の金字塔の1つで、「友情・努力・勝利」を過剰なくらいに熱く描いた名作なのだ。なので「鬼滅の刃」に「聖闘士星矢」スピリッツを感じるということは、「鬼滅の刃」が「週刊少年ジャンプ」の正統かつ王道な後継者である証でもあるのではないだろうか。
ということで、正当な後継者ならではの類似ポイントとしては
・舞台は現実世界+ファンタジー要素を融合させたエキゾチックな世界:
ギリシャを聖地に女神(アテナ)を中心に組成された聖闘士たちが人々を守る世界→大正時代をベースに人を食う「鬼」がはびこり、人々を守るために鬼殺隊が結成されている世界
・闘志を燃やすための作法:「小宇宙」→「呼吸法」
・戦いにおいてキャラクターを象徴するツール:
その者にしか着こなせない「聖衣」と必殺技→その者にしか扱えない「刀」と必殺技
・主人公はド新人:最下位クラスのブロンズ聖闘士→鬼殺隊に入隊したばかりで最下位
・ある特定の組織に入るために異常ともいえる過酷な修練に励む:
幼少時から拉致同然でギリシャに送り込まれ数年間の修行→思春期の貴重な時間に2年間、過酷で孤独な修行生活
・成長を見守るよく出来た師匠がいて実はその師匠にも重い過去あり:女聖闘士の魔鈴さん→「育手」鱗滝左近次
・同世代の仲間と友情を育み少しずつ成長する
:主人公の星矢と共に戦うブロンズ聖闘士の4人の仲間→主人公の炭治郎と出会い仲間となる善逸や伊之介
・主人公の最初のモチベーションが家族のため:行方不明の姉を探すため地獄ような修行の日々を耐え見事ブロンズ聖闘士の資格を得る星矢→鬼にさせられてしまった妹を救うため気の遠くなるような孤独な修行にも耐え抜き鬼殺隊に合格する炭治郎
・人智を超えた強さを誇る先輩たち:黄金聖闘士→鬼殺隊の「柱」の面々
・実は慢性的な人材不足で超強い先輩たちも実はめっちゃ若い:黄金聖闘士は10代後半~20代前半→柱の面々も10代~20代
・慢性的な人材不足のため、最下位から上位に這い上がるチャンスが実はある:
ブロンズ聖闘士だが時々、黄金聖衣を拝借して有望な将来性を見出され期待をかけられる→即実戦投入され戦いの中で新たな力に目覚めて技を習得したり、オーナー的存在に価値を見出される
…などなど
うんうん、これぞジャンプ法則だね!…という要素がギュギュッと詰まっている。
だからこそ、初見でもすごく分かりやすく見やすい。
お作法はこの数十年受け継がれた「週刊少年ジャンプ」の正統派方程式に則っているから、初心者でも全然ついていける。
そしてその上で、和製=日本人の心情にフィットする情緒によって丁寧に紡がれるストーリー、そして今だからこその美麗な絵柄や映像演出で隙無く構築されている上に、この令和の時代だからこその時代性が違和感なく作品の血肉となっているところに「鬼滅の刃」のすごさがある。
■煉獄杏寿郎にみる「偉大なる先輩像」と本当の覚悟
さてそんな俄かファンなので、実はアニメで動く煉獄さんを見るのは劇場版が初めてだった。
40代半ばの女性から見た煉獄さんの第一ははっきりって最悪だった。
まずかっ開いた目が怖い。瞳孔開いちゃってんじゃない?ってな瞳の揺るがなさと、瞬きしてる?ドライアイにならない?と心配させる表情の動かなさが、はっきり言って超怖い。
頭は超良く恰幅も良いが愛国主義に傾倒しすぎて所かまわず愛国論と軍歌をかましていた高校時代のクラスメイトを30年ぶりくらいにフラッシュバックさせたくらいの嫌悪感。
しかも汽車の中で駅弁を食べる際に「うまい!」を大声で連発する空気の読めない感じとか、和牛弁当という当時にしてもそれけっこう高額だよね?というお弁当を十数個食べちゃうところに金銭感覚大丈夫?と思わずツッコミいれたくなる(あのお弁当代は経費扱いなんだろうか…)。
絶対お付き合いしたくない人NO1だわぁ…と正直思ってしまった。
でもその辺は主人公の炭治郎や善逸が早々に「変な人」と素直なツッコミを入れてくれたので、寧ろ一気に主人公側の視点で同調することができ、だからこそ、炭治郎視点で煉獄杏寿郎を捉えることでクライマックスの煉獄さんのすごさに劇場版2時間をかけて気づき尊敬するまでに至ることができたのだ。
(彼の初登場シーンにはそういう演出テクニックが詰まっていたのかもしれない)
まあそんな訳で、第一印象は「私はお前が嫌いだ」…だった。
しかも鬼殺隊のトップクラス「柱」の一人の煉獄さん。強さは折り紙付きなのはもちろん、言動がすごく正論といういが正義の塊って感じで、それもまた苦手なタイプ。
彼の喋りに「あ、こいつアイオロス?もしくはアイオリア?」と聖闘士星矢世代の私は思ってしまい、一層、苦手になってしまった。
小学生時代からなんつーかこう、正論と正義を振りかざして、しかも中心的人物という陽キャラというかカースト上位の強すぎて弱者のナイーブな心の弱さに思い至らないような奴が超絶苦手だった。
なので冒頭20分はまったくテンションが上がらず。むしろ苦手な彼と映画の最後まで付き合わなきゃならないことに苦痛すら覚えるしまつ。
映画館という密室が途中乗車の許されないノンストップの汽車に重なり憂鬱になりつつも、炭治郎や善逸、伊之助の、意外とドライで辛辣なツッコミに溜飲を下げていたのだった。
それが「あれ?」と思ったのは、中盤で煉獄さんの無意識層が構見えるシーン。
垣間見えた彼の過去と無意識層のまさに煉獄な様相に、彼がただの正義を振りかざすだけの奴ではないのでは?と俄然興味が湧き始めた。
そしてクライマックスのあの雄姿である。
最初の「お前が嫌いだ」な気持ちは彼の振り下ろす炎の刃で見事に斬られ浄化され、上映後は「煉獄さんサイコー!カッコ良い!」となっていた。
無限列車は主人公の炭治郎たちと共に煉獄杏寿郎に出会い、そして感銘を受け、あらためて人として鬼を倒す「鬼殺隊」の心構えを学びなおす旅だったのだなと実感したのだった。
それ故の辛さもまたあるのだが、煉獄杏寿郎と出会った意義がこの映画にすべて込められていて、確かに何度も足を運びたくなる魅力が詰まったとても贅沢な2時間だった。
■竈門炭治郎という令和の新ヒーロが魅せる偉大なる慈愛と赦しの精神
まぁそんな訳で無駄に熱い男というのが小学生から苦手な私は、昭和の熱血主人公が実のところ苦手だった。
正直、「聖闘士星矢」の主人公の星矢のことも実のところそんなに好きではない。不屈の精神とどんな困難にあっても仲間を思い立ち上がる勇気に人として尊敬はするけど、異性としては付き合いたくないタイプ(小~中学生時はユニセックスなアンドロメダ瞬くんが好きだった)。
なのでその後、平成を席捲したジャンプの人気主人公の悟空やルフィも苦手だったので実は「ドラゴンボール」や「ワンピース」をちゃんと漫画を読んだことがない。「北斗の拳」のケンシロウは寡黙で不器用な実直さが憧れのアニキ!って感じで好きだったので漫画もちゃんと読んだ(笑)
そんな訳で「週刊少年ジャンプ」作品は好きだが熱血主人公は苦手な私から見ると、「鬼滅の刃」の主人公の竈門炭治郎は全く違ったタイプの新しい主人公像でまず驚いた。
もちろん炭治郎も熱い部分を持っているけど、まず使う技が水系ってところで熱さがあんまり無い。むしろ涼し気ですらある。しかも見た目もカワイらしい容貌で、17才というのに思春期の男子感が薄く、どちらかというとユニセックスなのだ。
14才という一番多感な年に彼にとって一番の悲劇を体験し過酷な日々に身を投じてしまったせいかもしれない。
でも仲間の善逸は同じような状況でもヒロインの禰豆子LOVE!だったりとある種全うな高校生男子感があるし、動物に育てられた野生児の伊之介も無意識層では10代男子の性を抱えていたので、やっぱりパーソナリティの違いなのかなと思う。
炭治郎はとてもニュートラルな存在だと思う。
そして扱う技のように水のようなしなやかさがある。
男でも女でもなく性の境界線を決壊させ一個人としての魅力を打ち出すそのキャラ性が、まさに今の時代性のように思う。
だからこそ、男女関係なく魅了されるのかもしれない。
しかも炭治郎のすごいところは、彼の精神性が闘争心ではなく慈愛と赦しを根源としているところだ。
まるでウユニ塩湖のような絶景を無意識層に抱く炭治郎は、憎っくき敵である鬼にさえも慈愛を見せる。そして消滅する鬼の最後のいまわの時に、復讐の怨念を見せるではなく、全てを飲み込み浄化するとてつもない包容力を見せるのだ。
闘志は屈服させることができるかもしれないが、慈愛は組み伏せない。むしろ飲み込まれてしまう。
こいつガンジーの生まれ変わりか⁉
今年のノーベル平和賞は竈門炭治郎がもらうべきだろ!
と思わせる平和への祈りが満ちている。
闘いを通して成長する姿を見せる「週刊少年ジャンプ」方程式において、闘いの中で彼が魅せる一番の成長所は、不屈の闘志ではなく赦しの精神だというのが実に新しい。
そして令和というこの時代、本当の勝者というのは、闘って相手を屈することではなく、闘いというコミュニケーションを通じて相手を理解し許す度量の大きい者なのではないだろうか。
武力ではなく慈愛の権化である竈門炭治郎。
ある意味、恐ろしい子…!である。
何故なら、今までの流儀となる力の正義が通じないのだ。
これは、圧倒的な力の強さで鬼たちを統べる最大の敵・鬼無辻無惨にとっては、実に厄介でいまいましい存在だろう。
だからこそきっと最後は心の勝負になるのかなと思ったり。
男女差別という昭和から平成にかけてのジェンダー論が、さまざまな性を受容する多様性を求められるようになり、それ故に、性別ではなく個々人の個としての優劣も逆に際立ち、アイデンティティーを崩壊させる危険性をもはらむ令和の時代。
だからこそ、誰よりも実は一番の心の強さと途方もない慈愛と赦しの包容力を持つ竈門炭治郎に、私たちは感銘を受け魅了されるのではないだろうか。
まさに今だからこそ生まれた新ヒーロー像なのだと思う。
……ということで、昭和の時代から脈々と受け継がれた「週刊少年ジャンプ」の正統派路線でありつつも、令和の今だからこそ必要なニュートラルな主人公が活躍する「鬼滅の刃」が人気となるのは必然なのだ。
そしてこのコロナ禍となった2020年。舞台背景が私たちに郷愁を呼び起こさせる日本の原風景的な大正ロマンに彩られ、「鬼」という理不尽な存在と、そしていつ自分が食われるかもしくはそっち側になってしまうかもしれないという恐怖が、今のコロナという目に見えない恐怖にも重なる。
そんな日々の中で、男女の恋愛ではなく家族愛という誰しもが心の根っこに持っているだろう愛をまっすぐ無垢な形のまま最高質の状態で魅せてくれたのが「鬼滅の刃」なのだと思う。
だからこそ私たちはただ純粋に楽しみ、その無垢さを真っすぐに受容することで、このコロナ禍で積もり積もった心の澱を浄化すれば良いのではないだろうか。
しかもこのご時勢、映画館で滂沱の涙を流して顔がデロデロになってもマスクで隠してくれるというメリットもあったりするのだ。
悔しいかな、この2週間足らずのニワカにすらこんなに語らせてしまう「鬼滅の刃」はやはりスゴイ。
激務な時こそ在宅ワークのススメ
健康のためにもゴハンは腹八分目が良いように、仕事もいつもは八分目くらいにして、不測の事態が起きても対応できる余力を残すようにしている。
なので繁忙期以外は残業もあまりしないような生活をここ2~3年は心がけているのだけれども、今週はちょっとした繁忙期にさらに突発案件も発生しお仕事許容量コップのフチがあっけなく決壊。
ハードワークな1週間となってしまった。
仕事自体は別に嫌でもなんでもないのだが、突発案件が発生するとかかわるメンツも増え、普段やりとりしていない相手との緊急対応が一番めんど……いやいや、気を遣わざるを得ないのでストレスが溜まる。
それでもなんとか黙々と粛々と業務をこなさなければならないのだけれども、そんな時こそ、在宅ワークのありがたみを実感したのだった。
在宅ワークの一番良いところといったら、まず通勤時間が無いということ。
その分、ギリギリまで寝ていられる。
12時間みっちり仕事したとしても、ゴハンやお風呂やちょっとした息抜きタイムを4時間確保したうえで、なんと8時間も眠れる!
これが会社に通勤していたら往復の通勤時間約2時間を考慮すると睡眠時間が6時間に減ってしまうではないか…!
…6時間でもそこそこ寝ていると思われようが、40代も半ばとなると回復力がものすごく時間を要するのだ。6時間じゃまったく回復できない。7時間でなんとか。8時間でスッキリ…である。
久々に体験して自分自身でもビックリ!
30代後半とかは4~5時間睡眠でも日々の激務をなんのそのだったのが、今はもう無理、ダメ絶対!である。もしそんなことしたら翌日のパフォーマンス力が一気に落ちるので、相対的に見て効率が悪いことこの上ない。
やはり忙しい時ほど睡眠時間の確保!…である。
次いで良いことといったら。おひとり様暮らしなので、家の中が大変静かなため、書類作成にめっちゃ集中できる。
PC前に張り付いて仕事仲間からメール等で連絡が入ったら対応も即座にできるのでタイムロスもあまり感じない。
こんな時、ありがたみを感じるのは、日々の書類管理の大切さ。
共有ネットワークにチームで使う必要書類を都度アーカイブしておけば、「あの資料どこだっけ?」とか「あの資料、急に必要になったの!送って!」といったお願いやり取りや急な無茶振りへのフォローの贖罪的メールやら後日のお詫びといったことが発生することもなく無駄な時間を使わなくて済む。
距離が離れていてもネットさえ繋がっていれば、資料送付や共有だってすぐできちゃう。本当にネット様様である。
そしてやっぱり在宅ワークの良さは、夜遅くまで働いたとしても、自宅なので帰りにタクシーを使わなくて済むということ。
実は先週後半から激務の予兆は現れたのだが、先週金曜日は会社に出社していたので帰りが遅くなり、自腹でタクシーを使ってしまった。
街のはずれのプチ田舎暮らしなので治安が良いところではあるが、やはり23時頃の夜道は恐ろしい。そのためのんびりプチ田舎暮らしの代償として22時以降の帰宅はタクシーを使うようにしていたのだ。これが地味に痛い。
1回のタクシー代でビール3杯分くらいが消えるかと思うと実にやるせない。
それなら早く出社して日のある内に帰ればよいのだが、いかんせん40数年培った朝寝坊癖はいまだに直らず、起きられない。故に遅くとも21時には家に帰れる生活を送っていたのだが、先週~今週はそうもいかない状況に。そのため在宅モードに急遽切り替えて、タクシー代を発生しない体制にしたのだった。
いや本当に在宅で良かった。もし3夜連続タクシー使ったりしたら、その出費の多さにブチ切れていたかやけ酒でさらに出費を重ねるところだった。
タクシー代節約できたと思えば、今夜のご褒美用にキンキンに冷やしているスパークリングワイン代なんてカワイイもの♪
ということで、今週は後半をがっつり在宅ワークにしたことで、重なった数々の締め切りをちぎっては投げ、ちぎっては投げつつもなんとかこなしてミッションクリア!
そうして迎えた金曜の夜のご褒美ビールがこれまた大変美味しい。
いつも美味しくいただいてはいるが、よくやった自分!と自画自賛しながら飲むビールは激務の疲弊と仕事から解放された爽快感があいまってめっちゃ美味しい。
このために仕事したといっても過言のない美味しさ。
そして迎えた週末。
仕事の山も越えて気分も晴れ晴れ。
この土日をゆったりまったりどう過ごそうかと、のんびり考える時間があることの贅沢さ。
(とはいえ激務に疲れた体を癒すためにガッツリ寝たので起きたのは土曜の昼12時ではあるが…)
ブランチどころかすっかりランチタイムには、ベーコンエッグと焼きたてパンと濃いめのコーヒーで優雅なひと時を堪能。
午後は部屋でゴロゴロしたり、夕方に近所の八百屋と豆腐屋で野菜や湯葉を購入し今夜の晩餐会の逸品に加えたり、夕暮れの湖畔をのんびり散歩してかなりリフレッシュすることもできたのだった。
さてさて、すっかりリフレッシュできた今夜はご褒美スパークリングワインを嗜みながら旬のカボチャ料理で楽しいおひとり様晩餐会を迎えようではないか。
飲みながら今週の激務で観られず録り溜めたドラマをみまくるのも楽しみ。
おひとり様の秋の夜は長い。
【立川散策】街中のオアシス GREEN SPRINGS(グリーンスプリングス)で憩いのひと時
すっかり秋めいてきた10月、これからの季節に向けて食器や部屋の装備をちょっと補充しようかなと立川のIKEAに行ってみることに。
コロナ前に1度だけ行ったIKEAはかなり広々としてシンプルな食器や小物を見るだけも楽しかったなぁ…と遠い(といってもまだ1年もたっていない)記憶を頼りに立川駅北口からモノレール沿いに北上しようとしたら、思わぬ緑の公園的な場所に遭遇。
こんな場所あったっけ?と思ったら、今年8月にオープンしたばかりの施設「GREEN SPRINGS(グリーンスプリングス)」とのこと。
公式サイト情報によれば
“心にもからだにも健康的なライフスタイルをテーマにした「ウェルビーイングタウン」です。都心と自然が交差する、立川という豊かな土地だからこそ実現できる
未来型の文化都市空間「GREEN SPRINGS」を、どうぞお楽しみください。”
…ということらしい。
確かに緑と水が豊かな公園にショップが点在していて、公園でまったりしながらお店もブラリ巡ってゆったり過ごそ☆的な空間が広がっている。
コロナ禍でここ数か月、家で籠るか森や湖を眺めているかですっかり自然回帰した身にとってはめっちゃ街!都市‼
という印象で、逆に新鮮だった(笑)
池や水路を駆使した公園は午後の日差しも相まって、まるでモネの絵画のような印象で癒される。
人もそこそこいるものの激混みという訳でもないので、それぞれが適度な距離をとってゆったりできるのが心地よい。
さらにそこここに無料で寛げるソファーなども置いてあり、文庫本片手に数時間まったり過ごすのにめっちゃ良さそう。
コンサートホールに向かう大型階段横には、そこそこな広さの芝生も広がりちびっこたちがかけまわっていたり、公園のところどころでカップルや家族が団らんしていたりと、なかなかに素敵な風景が広がっている。
うん、なるほど、カップルやファミリー向けの文化空間都市という構造。
マジョリティ向け空間に久々に出くわし、おひとり様はなんだかちょっと座り心地がモゾモゾする。
とは言いつつも、ゆったりランチして、点在するソファーでまったりできるので、おひとり様でもけっこう満喫できる場所になっていた。
さらに良いのが、前にIKEAに行った時は、駅からちょっと歩いて遠いなという印象だったのだが、駅からGREEN SPRINGSをぶらつきながら突っ切ると、道の向こうがすぐIKEAというところ。
買い物地へ向かう経路がのどかな散歩道となったことで、目的地に向かいながらリフレッシュもできるという一石二鳥なのが嬉しい。
立川駅近辺は駅ビル含めルミネ、グランデュオ立川、伊勢丹、高島屋とデパートも充実しているし大型書店もあれば音響の良さが売りの映画館もあり狭いエリアに欲しいものがギュッと詰まっていてショッピングがしやすいのも魅力的。
気づいたら休日の半日を立川で終えていた。
たまには街での時間も楽しいなと思いつつ、夕暮れ時にはやっぱり森のそばの町はずれの我が家が恋しくなってきてしまった。
なんだかすっかり、街に出てきた田舎のネズミのように郷愁にかられた、おひとり様の休日だった。
休日はランチを求めて1時間【40代おひとり様のスローライフ】
今週のお題「運動不足」
コロナ禍はいまだ収まらず、仕事も週に半分くらいは出社しつつも在宅ワークの日々。春頃は連日の在宅ワークで、夕方頃に15分ほど散歩して息抜き&運動をしていたのだが、夏は異常気象ともいえる猛暑でむしろ部屋に籠り、そして迎えた秋、なんのかんので仕事が忙しくなってきて、在宅ワークしてると気が付いたらすっかり夕暮れ。日の入りもどんどん早くなってきて、夕方ちょい散歩というのもままならなくなってきた(ちなみに朝はギリギリまで寝てるので、朝の散歩などという素敵なモーニングルーティンとは一生無縁のような気がする…)。
そんな訳で、平日は出社日はかろうじて家から駅の往復で多少歩くものの、在宅ワークだとまったく運動していないので、それなら週末まとめて運動しよう!…と思いいたった。
…のだが、週末はやっぱりのんびりゆっくりしたい。惰眠を貪りたい。
そこで思いついたのが「宅急便の午前受け取り&小一時間ウォーキング後のご褒美ランチ作戦!」
プチ田舎住まいなので水やお酒、日用品などは宅急便を活用するようになったのだが、受け取り時間を土日の午前中に設定することで強制的に午前中に起きなければならない状況に(それでも起きるのは早くて9時30分頃だが…)。
そして、宅急便を待ちながら午前中は洗濯したり家の掃除をしたり録画した番組を観たりとゆるゆる活動し、無事に宅急便を受け取ったらランチへGO!
愛用しているGoogleマップくんに4km圏くらいでランチをやっているお店を紹介してもらい、その時の気分でイタリアンや中華や和食などを選択。あとはGoogleマップくんの導きのまま約1時間のウォーキングスタート!
ということで、ここ最近、雨ではない日を狙って2回ほど実施してみたのだが、普段、歩きなれていないせいで思いっきり疲れた。けどまぁ、精神的な疲れとは違って、肉体的な疲れもまた心地よい。
世の中まだコロナ禍を考慮して、Googleマップでなるたけ人のいない森の中や緑地帯などにあるお店にしよう…と、1回目は狭山湖の近くのカジュアルイタリアンへ。
小雨が時折パラつく日だったが、折り畳み傘で一時をしのげば涼しく日焼けもほどほどのウォーキング日和。1時間ほど多摩湖(村山上貯水池)と狭山湖の遊歩道を、森林浴をしながらのんびり歩き続ける。
人家のほとんどない森と湖が延々と続き、狭山湖入口の近くにポツンと建っているカジュアルイタリアンのお店へ。
まずはビールでリフレッシュ♪
昼時のビールって、なんでこんなに美味しいんだろ。
歩き疲れたこともあってビールが沁みる。
マルゲリータピザも1人で食べるにはちょっと多いかな?と思ったが、歩き回ってお腹ペコペコだったので、気が付いたら完食していた(笑)
帰りは近くのお寺や神社も散策。
…その結果、帰りはすっかり疲れてしまい、西武球場前駅から西武山口線を利用してショートカット。
ちなみに西武山口線の電車は案内軌条式鉄道という種類で、単線で実はゴムタイヤ走行らしい(線路のあるバスみたいなもの…?)。ゴルフ場と湖沿いの路線なので森の中を走っている感じで車窓からの風景が楽しい。
さてまた日を変えて秋晴れが気持ち良い土曜日。 今度は多摩湖(村山下貯水池)を突っ切って小一時間ほど歩いたバーミヤンへ。
ちょっと雲が多かったが穏やかな秋晴れで散歩日和♪
多摩湖近辺をのんびり散策して初めて訪れた地のファミレス。コロナで街中への外出もほとんどしていなかったので、久々の田舎街のファミレスに内心テンションが高まる。
バーミヤンのすぐそばには大型衣料店やスーパー、マクドナルドもあり、すっかり娯楽に縁遠くなった身にはさながらテーマパークのような楽しさだった。
ちなみに帰りは脇道に入ったら人気のまったくない延々と続く森というか山の中の細道みたいなところに出てしまい、少しずつ日が傾いてきた時間帯ということもあって心細いことこの上ない。思わぬ恐怖のアトラクションがオプションでついてきたのだった。
ということで、家事などは午前中にこなしたことで、往復数時間かけてランチを堪能して帰ってきてもまだ夕方。その後は家でのんびりテレビを見たり、軽めの夕食を摂ったりとのんびりまったり秋の夜長を過ごすことができる。
しかも歩き周り、かつ見慣れない景色に5感をフル稼働し周囲の気配に意識を自然と高めるようで、脳味噌のサバイバルスイッチが入るからなのか、平日の仕事の疲れやモヤモヤが良い感じに吹き飛んでしまう。
運動不足解消法になるのはもちろん、リフレッシュ&田舎街のアトラクションとして、片道徒歩1時間強のランチという新たな楽しみがしばらく続きそうだ。
ドラマ「私の家政夫ナギサさん」に観る結婚の違和感
この夏は、火曜10時のドラマ「私の家政夫ナギサさん」を毎週楽しく観ていたのだけれど、最終回を経て3週間たってもなんだか心の隅がモヤモヤして仕方ない。
なんでこんなにモヤるんだろうと、今更ながらだけれど改めて考えてみた。
ドラマ「私の家政夫ナギサさん」は、アラサー(といってもまだ28歳)で、製薬会社の営業職であるMRとして仕事に邁進するバリキャリ女子として活躍するメイが主人公。仕事ではチームリーダーになったりと順調にキャリアを積んで、同世代よりもかなりの高収入というある意味、勝ち組。けれど、実は壊滅的に家事が苦手で、部屋は汚部屋、食生活はコンビニゴハンという不摂生ぶり。みかねた妹が家政婦をスーパー派遣してくれたところ、そのスーパー家政婦はアラフィフなオジサンだった。
……ということで、バリキャリ女子のメイとオジサン家政夫のナギサさんの交流を通じて、現代社会における妙齢女子の生活環境だったり家族の問題だったり仕事への向き合いだったりを軽やかに、そして優しく包み込んで描かれた良作…だったと思う。
けれど、やっぱり結末にはモヤモヤするのは何故だろう?
一番モヤついたのは、メイとナギサさんが最後急に恋愛っぽい雰囲気を醸し出して結婚したこと。
ナギサさんが部署移動でメイの家政夫ができなくなったことを知ったメイが突発的に「それなら結婚しましょ!」と言うのは、突発的衝動と一緒にいられる理由作りとして「結婚」を閃いたからということで、分からなくもなくもない。しかもお試し結婚という過程を設けたことで、お互いの不一致部分も見つけたり、仕事ではなく素のメイとナギサさんとして向き合おうとする努力も見られた。
その結果、お互いを「好き」だと認識して結婚にいたる訳だけれど。
私的にはそこに最大の違和感を感じてしまったのだ。
もちろん、メイとナギサさんは相性も良くて、一緒にいる姿は微笑ましいし、仲良しなのは見ていてほっこりする。
でも、メイとナギサさんの間にある感情は果たして恋愛なんだろうか…?
お母さんに甘えたい子供の心のまま見た目だけ大人になってしまったメイと、お母さんになりたかったナギサさん。
この二人の「好き」って、「お母さん大好き!」「娘が大好き」という家族愛なんじゃなかろうか?
というのが、全話通して二人をみて思った関係性だった。
なので、そこで急に「恋愛」を出してきたのが違和感だったのだ。
全編通じて「恋愛」としての過程が感じられないのに、最終回間近で急に「好き!」「一緒にいたい!」と言い出して結婚しちゃって、周りからも「(年の差はけっこうあるけど)お互い好き同士で一緒になれてよかったね=恋愛結婚おめでとう」的な生ぬるい祝福を受けて私たち幸せ♪みたいなノリがなんだかとっても違和感なのだ。
メイは本当に恋愛として好きなんだろうか?
ナギサさんとSexできるんだろうか?
実はそこが一番気がかりで。
だって、メイの言動に性の匂いが一切ないのだ。
それでもお互い好きあってます!と周りにアピールする様が、実は私的一番の違和感かもしれない。
……と、ここまで考えて、ようやく違和感の正体に気づいた。
2人の全編を通じて描かれた言動を元に再検証した結果、結論から言えば、メイとナギサさんは恋愛関係ではない。
お互いの需要と供給が合致した疑似家族としての家族愛なのだと思う。
けれど、血の繋がりもないただの他人が親子関係を結ぶという発想がない故に、周りも本人たちも「年の差恋愛」という型に無理くりハメて納得しているだけではないか?
メイ自身も本音でいえば、ナギサさんはあくまでお母さんなので、親子愛のハグはできてもキスやSexをしたいという感情は無いのではなかろうか?
ナギサさんはもしかしたら、年若くて可愛いメイちゃんが傍にいたら、人間の本能としてオジサンだってムラッときちゃうかもしれない(笑) ただ、大切なメイちゃんがそういう気持ちを持っていないから優しく包み込む関係でいてくれてるのかもしれない。
そう思うと、メイとナギサさんは恋ではなく愛、しかも親子愛でしっかり絆を結んだ二人で、それはそれでお互い欠けたものを埋めあう大切な相手と巡り合えてとても良かったなと思う。
そういう意味で、2人が一緒の家庭を築くことはとても喜ばしい。
ただその家庭はあくまで母娘の家庭である。
そう思うと、結婚後のメイの態度もイラつかないから不思議。
実は最終回翌週のスペシャル編という名の総集編で、ちょこっと出てきた二人の新婚生活にもちょっとモヤったのだ。
ナギサさん仕事もしてるのに家事も全部担当して、それを当たり前だと思っているメイに、少しは手伝えよ!と思ってしまったのだ。
多分、その時はメイの姿に「オレ仕事がんばってしっかり稼いでるんだから、家のことはお前がやって当然」と素で思っている世の大半の旦那たちの影がチラついてしまったからだと思う(笑)
けれど、今改めて二人の関係が親子だと思ってみれば、メイはお母さんのナギサさんに甘えっぱなしなんだなぁ、ナギサさんもメイの面倒を全力で見るのが生きがいなんだなぁ、じゃあ仕方ないね☆
…と思えてきた。
それなら、お互いが納得した関係性であればなんの問題もない。
(世の中にはお互いの納得ではなく世間の常識とい物差しで一方的にその関係を強いる男たちがいるから悲劇が起きるし、結婚したくなくなる)
お母さんになりたかったアラフィフのオジサン家政夫ナギサさんと、仕事はできるがプライベートは何もできない小学4年生くらいで心の成長が止まってしまった大人コドモのメイ。そんな二人が出会ってお互いを必要だと思い、疑似母娘となって末永く幸せに暮らしましたとさ…。
という、現代のおとぎ話として捉えれば、とてもほっこりする。
こうして3週間たってようやく心のモヤモヤが解消され、メイとナギサさん二人のこれからの人生を心から祝福しようと思えたのだった。
そして、最終回でメイが結婚を選択したのは、もしかしたら無意識の策略だったのではないかと改めて思う。
全く他人のアラフィフ男性と20代後半の妙齢女子の2人が一緒にいるための言い訳、それが「結婚」だったのではないか。
現代社会で周囲に受けいられる型として編み出したのが「年の差男女の恋愛結婚」という言い訳だったのではないか。
ある意味、偽装結婚ともいえる二人。
けれど、結婚なんて、本来は社会的生活を潤滑にするための方便や様式でしかない。
恋愛至上主義で恋愛結婚万歳と持ち上げる現代。疑似母娘の男女なんて世間的には想定外で異端であろう。だからこそ、世間からの防御策として「年の差男女の恋愛結婚」という形を取ったのだとしたら……。
ある意味、メイは現代の歪みが生んだ恐るべき子供なのかもしれない。
そうしてドラマ「私の家政夫ナギサさん」を通じて、私たちの無意識層に「結婚なんて所詮は型でしかない。結婚する二人がどう納得し歩みよれるかで幸せになれる」ということを刷り込まれたのだとしたら…。
メイとナギサさんの二人に憧れ、このドラマを面白かった!と喜んでいた世の妙齢の女子たちに、どうかそれが呪いではなく、祝福の魔法として届いていることを祈るばかりである。
【週末トリップ】澤乃井園で日本酒三昧
土曜日の日帰りプチトリップで訪れた奥多摩。
一番の目的は澤乃井酒造が経営する澤乃井園で日本酒を楽しむこと。
御岳渓谷を堪能した後は、澤乃井園へ。
澤乃井園は渓流沿いにしつらえた日本庭園に売店とあづまやがあり、売店で買ったお酒や軽食をあづまやで食べることができる。
隣接したレストランもあり、そこではちょっとした懐石料理と利き酒セットを堪能できる「ままごと屋」や、豆腐料理などをカジュアルに味わえる「とうふ遊び 豆らく」がある。
とはいえ、お昼は御岳駅近くのカフェレストランで済ませてしまったので、あまりお腹も空いてない。
売店で味噌こんにゃくでも買って日本酒とキメようかなと思ったものの、ガーデンテラスのあづまやは人気が高く、どの席もカップルや家族、友達同士で占められている。
そしてこういう時、おひとり様の哀しさとして、場所取りをしてくれる仲間がいないということ。
お腹も空いてないことを言い訳に、売店は諦め土産屋で日本酒でも買って帰ろうかと思ったら、利き酒コーナーの看板が。
しかもラッキーなことに1テーブルちょうど空いているではないか!
日本酒好きに悪い人はいないハズという思いで、バッグを置いて席をキープし、利き酒カウンターへ。
利き酒コーナーは数種類の日本酒から好きなものを選んで試飲できるのだが、初回は澤乃井酒造特性の可愛らしいお猪口がついてきて、そこになみなみと注いでくれる。
試飲したらおちょこはお土産として持ち帰れるようビニール袋もくれる手厚さ。
そして、2杯目はおちょこを持ってカウンターに行けば100円割引というお得さ。
1杯目をどうしようか迷って、店員さんに一番辛口のものはどれか聞いたら、今日のラインナップにはないものの売店でも売っている「澤乃井 大辛口」なるものを出してくれた。
なんて優しい…!
しかも、その名の通りまさに辛口の中の辛口といえる逸品。
キリっとした辛口で個人的にめっちゃ飲みやすい…!!
夏の暑さにキンキンに冷えた日本酒が沁みる沁みる。
2杯目は、お店の利き酒ラインナップの説明書きに「とぎすまされた味の芸術品」とあった大吟醸を試飲。
口に含んだ瞬間、嫌みなくすっと広がる味わい。しかもクセが無く飲みやすい。それなのに馥郁たる香りもあって。まさに芸術品。
たまらん味わいだった。
3杯目も行こうと思ったものの、炎天下の遊歩道散策は思ったより体にこたえ、これ以上飲むと酔っぱらう可能性が…。
家に帰るまでが遠足ならぬプチトリップである。
こんなところで酔ってバッドトリップしてしまうのは避けたい。
ここはスマートに酔う前に撤退あるのみ。
ちなみに澤乃井酒造は酒造りの見学も行っていたのだが、今年はコロナの影響で中止になってしまった。
いつかコロナが収束したら、またぜひ酒造見学に訪れたい。
【週末トリップ】奥多摩に涼を求めて
おひとり様生活も実に四半世紀を超えた今日この頃、コロナの影響で家でまったりゆったりした日々が過ぎ、ある意味、安定した毎日を送っていられることに感謝しつつも、やはりどうにも刺激が欲しくなる。
安寧した日常の反動で、どうしてもいつもと違う風景が見たい衝動にかられてしまう。
思えばこの四半世紀、3~4か月に1度は小旅行をし、1年に1回はどこか遠くに長旅をすることが貴重な楽しみだった。
そして月に1~2度は街中に出て外食したり本屋で時間をつぶすのが至福の時間だった。
それがコロナの影響で外出もままならない。
半年近く会社以外は半径2キロ圏内で生きてきたのだが、そろそろどうにも気持ちがざわめいて仕方ない。
しまいには、ヨーロッパの街を夢で訪れる始末。
心と体が旅を欲していて仕方ない。
あまりに我慢しすぎるのもストレスになってしまう。
ということで、この状況下でできうる最大の策として、近場で人のいない所へ行ってみることにした。
流石に泊まりは憚れるので、弾丸日帰りプチトリップを決行!
Googleマップで自宅を中心に地図を拡大しながら、近場で自然が多そうな緑色地帯を探して選んだ先は奥多摩。
東京にして大自然豊かな奥多摩であれば、人も少ないに違いない。
かつおひとり様のプチトリップならば、おのずとソーシャルディスタンスも取れるはず。
しかも奥多摩観光サイトをチェックしてみたら、澤乃井酒造があるらしい。
これは日本酒を楽しめるということでは!?
さらにその辺は御岳渓谷として遊歩道もあるそうな。
この暑さで山登りをする体力はまったくないが、遊歩道くらいなら行けるはず。
しかも渓谷を眺めながらの散策なら、川のマイナスイオンで少しは涼しいだろう。
そこで飲むお酒は美味しいこと間違いない。
いてもたってもいられなくなって、週末の土曜日、いつも昼まで惰眠をむさぼっているところを、がんばって朝8時30分に起きて訪れてみた。
青梅駅からJR青梅線に乗ると線路のすぐ近くがもうすでに山!
あふれんばかりの緑が車窓を覆う。
澤乃井酒造のある「沢井駅」に降りると、徒歩5分くらいですぐに澤乃井酒造と澤乃井園があり、そこから遊歩道に入ることができる。
※澤乃井園については「【週末トリップ】澤乃井園で日本酒三昧」にて
目の前に広がる渓谷!
エメラルドグリーンの川面と、ゴロゴロむき出しの岩肌に、鬱蒼とした緑、そして夏の青空。
日頃PCとスマホの使いすぎで疲れた眼に沁みる沁みる。
まさに日本の田舎の原風景。
東京にこんな場所があったなんて。
しかも雄大な渓谷の美しさといったら!
キャンプを楽しむ家族や若者たちが適度なディスタンスをとりつつも河原を占領する中、遊歩道自体はキャンプ以外の目的の観光客がちょい歩きくらいで楽しむ程度なのであまり人もいない。たま~にすれ違うことはあれど、基本前も後ろもソーシャルディスタンスの30倍以上の距離感で、伸び伸びとおひとり様空間を満喫することができて最高!
御岳渓谷遊歩道はJR御嶽駅を中心に多摩川の両岸4kmにわたって整備された遊歩道とのこと。
今回は御岳駅と隣駅の沢井駅を繋ぐ遊歩道を散歩。
1キロ弱の道は整備されており、川岸に降りなければフツーの靴でも全然いけそうなほど(さすがにヒールはきついだろうけど)
線路側の遊歩道はアップダウンもほとんどなく、緑の渓谷をゆったり眺めながら気楽に散策できる。
途中で鵜瀬橋を渡って反対側の遊歩道へ。
ちなみに反対側の遊歩道はちょっと整備が甘く、かつ途中でうっかり国道にでてしまったため、車がけっこう行き交う長いトンネルを歩くのが一番のスリルだった。
あちこち写真を撮ったり、途中で立ち止まって渓流を眺めたりしながら、ゆったり散策して30分ほどで御嶽駅に到着。
御岳橋から眺める渓谷の深さもこれまた絶景。
良い感じにお腹も空いてきたので、駅近くのカフェレストラン「Mitake terrace」でランチ。
御岳渓谷が見える窓際の席でさっそくビールを堪能。
渓谷といえども昼時の炎天下で30分も歩くとかなりの汗だくとなった体に一気に沁みこむビールは何物にも代えがたい。
この一杯のために歩いた甲斐があるというもの。
ランチプレートのポークメンチカツがまたビールに合う合う。
汗だくになったせいか、塩気のあるお肉が食べたくてメンチカツを選んだのだが、隣の席の自転車仲間らしき同い年くらいの男女2名は唐揚げで、男性のほうは唐揚げonワッフルのメープルシロップかけを味わっていて、それもまた美味しそうだった(後で調べたらこのお店の名物メニューだったらしい)
ランチを堪能した後は、また沢井駅に戻り、澤乃井園で日本酒を堪能し15時くらいには沢井駅を後に。
滞在時間実質4時間くらいではあったが十分すぎるほど。
いつも見慣れた風景とはまるで違う風景に取り囲まれたことで脳内リセットもでき、遊歩道散策でほどよくというかいつもより何倍も運動もすることができ、かなり心身リフレッシュすることができて本当に良かった。
とはいえ久々のプチトリップにかなり疲弊し、その夜は夕食もままならず、コンビニで買った唐揚げ数個(昼の隣席の唐揚げが美味しそうだったので半ば無意識に選択していた)を食した後は爆睡。
そして翌日は身体の節々が悲鳴を上げ、家の中でほとんど動かず…という両極端な週末となってしまった。
奥多摩の雄大な山々に登山への誘惑が起きつつも、今の自分では初心者ハイキングですら到底無理そう…。やはり日頃の運動も大切だなぁと痛感。
何はともあれ思いがけない形で訪れた奥多摩は東京に居ながらにして大自然を堪能できる素敵な所だった。
そうして、週末プチトリップを経て、かつての日常のありがたさを再認識し、コロナ禍で身動きもままならない日常が続いているが、いつか無事に自体が収束して、今度はなんの気兼ねもなく遠出できる日がくることを切実に願う。